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阿久根 謙司(あくね けんじ、1961年10月5日 - )は、埼玉県出身の野球選手、野球指導者、実業家。早稲田大学商学部卒。 ==来歴== 小学3年生から野球を始め、早稲田実業では同期に和泉実、菅原一秀〔【球界高校人脈】早実編(下)指導者、Jリーグフロントなど各界でも活躍 ZAKZAK (2011年2月28日)〕、1学年上に川又米利がおり、和田明監督の下で2年春と夏に第50回選抜高等学校野球大会及び第60回全国高等学校野球選手権大会への出場を果たす。3年夏は日体荏原に東東京大会の4回戦で敗れた〔読売新聞、1979年7月27日付朝刊、東京地方面〕。 早稲田大学に進学して3年春には外野手のレギュラーとして一番打者を任されるようになり、秋季リーグ戦では打撃不振からスタメンを外れる事もあったものの早慶戦で代打として逆転のタイムリー二塁打を放って勝利打点を挙げ、この試合で7季ぶりのリーグ優勝が決まった〔朝日新聞、1982年10月31日付朝刊、P.16〕。4年生になると主将を任されて中堅手を務め〔朝日新聞、1982年4月2日付朝刊、P.16〕、春秋ともにベストナインに選出されている〔東京六大学野球連盟 ベストナイン 〕。 大学卒業後は東京ガスに入社し、硬式野球部で7年間選手としてプレー。1987年にはドラフト候補に挙がった〔「新社長は“佑ちゃん”の早実野球部大先輩…F東京」 『スポーツ報知』 2010年12月21日〕。4年間コーチを務めた後1997年8月に監督に就任。和泉や和田に触発され、選手が自ら考えプレーをする「自立」によるマネジメントに取り組んだ〔一語一会 第19回 阿久根謙司×小松成美 前半 トレード・トレード〕。翌年8月をもって退任〔毎日新聞、1998年8月13日付朝刊、P.21〕。その後は社業に専念し、2002年にR&D企画部、2008年から導管企画部グループマネジャーを務めた。 2010年7月、同社サッカー部から派生したFC東京を運営する東京フットボールクラブ株式会社代表取締役社長の村林裕は、観客動員の伸び悩み〔1試合平均観客動員数は2005年で頭打ちとなり、2006年以降25000人前後で推移していた。〕などから退任を決め〔【東京】村林社長が退任・・・取締役2人も 日刊スポーツ 2010年12月21日〕、自身の後任の条件に「50歳未満、経営バランス、スポーツへの真摯さ」を掲げた〔 サンケイスポーツ (2010年12月22日)〕。若さと経営能力、スポーツに対する姿勢を評価された阿久根が招聘され、2011年2月に社長に就任した〔役員人事の内定について FC東京 (2010年12月21日)〕。なお、Jリーグ実行委員〔実行委員・参与選任について Jリーグ 2011年1月18日〕及び東京都サッカー協会評議員も兼任〔 東京都サッカー協会〕。 J2に降格した2011年は序盤から厳しい戦いが続き〔朝日新聞、2011年11月30日付朝刊、東京地方面〕、さらに東日本大震災によるリーグ戦中断もあった。その中で選手やスタッフに「自立」を指針として掲げ〔2011年のスローガンは「TOKYO SPIRIT」。SPIRITにはSpeed(スピード)、Personality(個性)、Independence(自立)、Race(競争)、Insight(状況判断)、Technique(テクニック)の意味が込められていた。〕「スタジアムのワンダーランド化」を目指して新たな企画を次々と打ち出し〔一語一会 第20回 阿久根謙司×小松成美 後半 トレード・トレード〕、前年比7,500人減ながらJ1も含めたリーグ全体で4位となるホーム観客数約17,500人という実績を残した。阿久根自身もクラブPRのために東京ヤクルトスワローズ主催試合の始球式に参加し、早稲田大学野球部の後輩に当たる青木宣親を相手に、本気の投球でスタンドを盛り上げた〔フォトギャラリー 早大対決! 東京ヤクルトスワローズ (2011年8月30日)〕。チームは自発的なコミュニケーションや選手間でのミーティングを増やすようになり〔 毎日新聞 (2012年10月03日)〕、リーグ優勝によって1年でJ1復帰を達成するとともに、天皇杯でも初優勝を果たしている。2012年より、2001年以来クラブが目指してきた「2011VISION」を改める「2015VISION」を新たに打ち出し〔「FC東京2015ビジョン」について FC東京 (2012年2月1日)〕、実現に取り組んだ。 2015年東京ガスに帰籍し、4月よりライフバル推進部長〔東京ガス (2015年3月26日)〕。また、Jリーグ参与を兼務〔J.LEAGUE NEWS Vol.225 Jリーグ (2015年3月12日)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阿久根謙司」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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