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阿久津川 高一郎(あくつがわ こういちろう、1897年9月13日 - 1972年10月10日)は、1920年代の大相撲力士である。本名は永井高一郎(一時磯野姓を名乗る)。栃木県宇都宮市出身、高砂部屋所属。最高位は西前頭筆頭(1923年1月場所)。現役時代の体格は170cm、98kg。得意手は突き、押し。現役引退後は年寄として後進の指導につくした。 == 来歴 == 1914年6月場所に初土俵。小柄ではあったが腕力が強く、突き押しが得意で、すばやい相撲で鳴らした。1920年1月場所に新入幕を果たすまですべて勝ち越すという順調な昇進で、なおかつ十両では新十両から2場所連続優勝をはたした。 幕内では中堅力士として活躍し、1922年5月場所では横綱栃木山から金星を奪い、さらに大関常ノ花も破る殊勲をあげた。その後、1927年10月場所では、9勝2敗で優勝旗手にもなった。しかし、その後は徐々におとろえ、1929年1月場所限りで引退、31歳は若すぎる引退であった。 現役時代から、内弟子のようにして育てていた男女ノ川が、彼が現役のうちに入幕を果たし、師弟ともども幕内力士として土俵にあがることができたことが、引退を早めた一因だったといわれている。二人が並んだ写真が残っているが、阿久津川は男女ノ川の肩までしかない。引退後は年寄佐渡ヶ嶽として、独立して男女ノ川を横綱まで昇進させた。また、一般への相撲の普及にも心をくだき、相撲体操を考案した。後年この相撲体操は健康増進方法として注目を浴び、これにより日本相撲協会は2014年12月18日にタニタから「タニタ健康大賞」を贈呈された。〔相撲協会に「タニタ健康大賞」 nikkansports.com 2014年12月19日8時58分 紙面から〕協会理事も務め、1954年1月限りで廃業した。 その後1957年4月、大相撲の体質が国会で問題になったときに、参考人として天竜三郎・武蔵川(元出羽ノ花)らとともに国会に出席したこともあった。 1960年に藍綬褒章、1971年に勲五等旭日章を受章。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阿久津川高一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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