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阿倍 宿奈麻呂(あべ の すくなまろ)は、飛鳥時代後期から奈良時代前期にかけての公卿。氏姓は引田朝臣のち阿倍朝臣。筑紫大宰帥・阿倍比羅夫の次男。官位は正三位・大納言。少麻呂とも表記される。 == 経歴 == 大宝2年(702年)持統上皇の崩御にあたり造大殿垣司を務める(この時の位階は従五位上)。従四位下に昇叙された後、慶雲元年(704年)引田朝臣から阿倍朝臣に改姓(大宝3年(703年)右大臣・阿倍御主人が薨御しており、宿奈麻呂が阿倍氏の氏上となったか〔)。慶雲4年(707年)文武天皇崩御の際には造御竈司を務めている。 和銅元年(708年)二階昇進して正四位上に叙せられ、参議を経ず中納言に任ぜられる。また同年多治比池守とともに造平城京司長官に任ぜられ、平城京造営の責任者となる。和銅2年(709年)従三位に叙される。和銅5年(712年)には、同族の引田邇閇・引田東人・引田船人・久努御田次・長田太麻呂・長田多祁留ら6人について、本来は阿倍氏の正統であることから自らと同様に阿倍氏へ改姓すべき旨を言上し、許されている〔『続日本紀』和銅5年11月20日条〕。 霊亀3年(717年)正三位に昇叙され、養老2年(718年)大納言に至る。同族の他田万呂について祖先は阿倍氏と同族であるとして、阿倍他田姓への改姓を言上し許されている〔『続日本紀』霊亀3年8月3日条〕。 養老4年(720年)正月27日薨去。最終官位は大納言正三位。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阿倍宿奈麻呂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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