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阿勒坦鄂齋爾 ( リダイレクト:アラタンオチル ) : ウィキペディア日本語版 | アラタンオチル
アラタンオチル〔東亜問題調査会編(1941)、1頁の表記による。〕は中華民国時代の軍人・政治家。モンゴル族。号は宝珍。綏遠オルドス(鄂爾多斯)右翼後旗(現在の内モンゴル自治区ハンギン旗(杭錦旗))の人。 == 事績 == 若年時代から王府、旗府で文書工作を担当していた。27歳でハンギン旗扎薩克(郡王)を継承する〔徐主編(2007)、782頁。〕。中華民国成立後は、臨時参議院参議や安福国会時の衆議院議員を務めた〔劉主編(2005)、1294頁。〕。 1924年(民国13年)、イフ・ジョー(伊克昭盟)副盟長となった〔東亜問題調査会編(1941)、1頁。〕。1928年(民国17年)、包頭区防副司令となる〔。1933年(民国22年)、ハンギン保安司令を樹立して自ら保安司令となり〔徐主編(2007)、782頁と劉主編(2005)、1294頁による。 東亜問題調査会編(1941)、1頁によれば、1931年(民国20年)、蒙古地方自治政務委員会委員・ハンギン保安司令部司令となり、陸軍中将に任ぜられた、としている。〕、1934年(民国23年)3月、蒙古地方自治政務委員会委員に任ぜられた〔。1936年(民国25年)1月、綏遠省において蒙古各盟地方自治委員会副委員長をつとめている。1937年(民国26年)2月、陸軍中将に任命された〔〔。 日中戦争(抗日戦争)勃発後の1937年(民国26年)10月に蒙古聯盟自治政府が成立すると、アラタンオチルは同政府の参議会参議となる〔〔。翌年2月、イフ・ジョー盟副盟長を兼任し、蒋介石を支持した盟長シャクトルジャップ(沙克都爾札布)に代わって盟長の職務を執行した〔。1939年(民国28年)9月1日、蒙古聯合自治政府が成立すると、興蒙委員会委員、オルドス挺進軍総司令となり〔、引き続きイフ・ジョー副盟長も務めている〔〔徐主編(2007)、862頁と劉主編(2005)、1294頁は、後に盟長に昇進したとしている。〕。1941年(民国30年)、内蒙古西部に設立された臨時行政区行政長官と警衛師第12師中将師長も兼任した〔。 蒙古自治邦崩壊後、アラタンオチルは内モンゴル人民共和国の政府委員・交通委員に選ばれた。また、傅作義からイフ・ジョー盟保安師師長に任命される。1947年(民国36年)、イフ・ジョー盟の扎薩克・副盟長となった。1949年(民国38年)春、定遠営(現在のアルシャー盟)においてデムチュクドンロブ(徳王)らが主導する蒙古自治籌備委員会の主任委員に就任したが、同年4月16日に病没した。享年68〔〔。
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