|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 井 : [い] 【名詞】 1. well ・ 文 : [ぶん] 【名詞】 1. sentence
阿奈井 文彦(あない ふみひこ、1938年10月19日 - 2015年3月7日)は、ノンフィクション作家、エッセイスト。本名・穴井典彦(あない ふみひこ)〔本名については死去時のニュース及び「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」では「穴井典彦」。日外アソシエーツ現代人物情報では「穴井文彦」、朝日新聞人物データベースでは「阿奈井文彦」と一定しない。〕。自称「アホウドリ」。朝鮮(現・韓国)全羅南道筏橋生まれ。 1945年、敗戦後、大分県に引き揚げる。大分県立森高等学校卒業、同志社大学文学部(哲学専攻)入学。教壇に立っていた鶴見俊輔と出会い、「朝鮮半島で生まれ育ち、戦後、大分県に引き揚げてきた自分の体験」を文章にまとめたところ、鶴見の紹介で雑誌「思想の科学」に掲載される。大学中退後、東京でクズ屋に就職。 1965年、ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)発足と同時に参加。開高健の知遇を受け、ベ平連の事務局員となる。 1966年から1967年にかけて戦時下のベトナム各地を取材。ベトナムに残留していた、元日本兵たちと出会う。 帰国後、ベ平連の中の米兵脱走を支援する組織「反戦米兵援助日本技術委員会」(JATEC)に参加。その後、文筆業に入る。代表作は、さまざまな職業の人たちへの聞き書きをまとめた「アホウドリの仕事大全」。 1976年韓国の定着村(ハンセン病回復者の共同体)での日韓ワークキャンプに参加、以後毎年韓国を訪れた〔日外アソシエーツ現代人物情報〕。 1980年代は、雑誌「漫画アクション」の名物匿名コラム「アクション・ジャーナル」に、亀和田武、呉智英、関川夏央、堀井憲一郎、村上知彦、山口文憲らとともに、執筆者の一員となった。 また、写真家・映画監督の本橋成一の写真集「サーカスが来る日」に文章を寄せ、のちに本橋が監督した、チェルノブイリ周辺の村を訪れたドキュメタンリー映画「ナージャの村」で、台詞構成を担当した。 2015年3月7日、誤嚥性肺炎のため死去〔ノンフィクション作家の阿奈井文彦さん死去 ベ平連参加 朝日新聞 2015年3月9日〕。76歳没。 ==著書== *アホウドリにあいにいった 晶文社 1975 「アホウドリの青春不案内」力富書房 *商売繁昌 昨今職業づくし 三宅菊子共著 中公新書 1976 *アホウドリ、葬式にゆく 昌文堂 1976 *喫茶店まで歩いて3分20秒 PHP研究所 1978.3 *からだとの対話 ぼくの野口体操入門記 現代書館 1978.9 *アホウドリの人生不案内 百人社 1981.7 *アホウドリの行きあたりばったり ケイブンシャ文庫 1984.9 *アホウドリの仕事大全 現代書館 1985.5 のち徳間文庫 *アホウドリのにっぽん不案内 力富書房 1985.6 *アホウドリの女性不案内 新潮社 1985.8 *アホウドリの朝鮮料理入門 1987.8 (新潮文庫) *アホウドリの韓国ノート 1987年夏 現代書館 1987.12 *現代事物起源 生まれたモノ・消えたモノ 1978~1987(編)平凡社 1988.5 *ベ平連と脱走米兵 2000.9 (文春新書) *名画座時代 消えた映画館を探して 岩波書店 2006.3 *サランヘ夏の光よ 文藝春秋 2009.8 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阿奈井文彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|