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阿字観(あじかん)は、密教の根本経典の一つである『大日経』(大正蔵:№848)において初出し、主に密教において説かれる瞑想法であり、日本では、平安時代の弘法大師空海によって伝えられたとするものを指す。 ==概説== 阿字観は、歴史上の弘法大師空海の伝とされる事相の中で、現存する数少ない遺法の一つとされる。一般にはあまり知られていないが日本の密教で事相と呼ばれるものは、いわゆる全て「四度立て」〔日本の密教では密教僧としての資格である阿闍梨となるために、「四度加行」という修行を終えなければならない。四度とは「十八道」「金剛界法」「胎蔵界法」「護摩法」の4つを指し、これらに共通する作法を「四度立て」または、「十八道立て」と呼ぶ。日本最古の密教の次第書は宇多法皇(寛平法皇)の残した『小僧次第』(現存)であるが、『小僧次第』には「護摩法」は存在せず、「胎蔵界法」次第には直筆の甲本と乙本、写本の丙本とがあり、共に内容が異なるために「胎蔵界法」次第は寛平法皇の編集とみられている。古法と比較すると、現行の『四度次第』は各項目の見出しは同じだが内容は古法と全く異なるものとなっている。また『四威儀』も、「袈裟偈」に見るように江戸時代の戒律復興運動の時期に、真言宗の慈雲尊者や天台宗の豪潮律師、黄檗宗の隠元禅師らに代表されるような、禅密双修の中国密教による『禅の四威儀』から伝えられたものであり、寛平法皇の『小僧次第』に添えられている「切紙」が伝える密教の所作と真言で構成された『古法の四威儀』とは、やはり内容が異なっている。〕の修法(修道)を基本としているが、これは実際には空海以来の直伝ではなく、平安末期の興教大師覚鑁の著作をもとにして、後の鎌倉時代から始まったものである。 平安密教の終焉は、相次ぐ戦乱や飢饉に加え元暦2年に京都一帯を襲った大震災〔この時の惨状が鴨長明の『方丈記』(国宝)に詳しく述べられており、「山は崩れて河を埋め、海は津波となって陸地を飲み込んだ。地面は裂けて水が噴出し、崖は崩れて谷を転がり、沖の船は波に打たれて転覆し、道行く馬は立ち上がり、転げまわった。京都から近郊に至るまで、ありとあらゆる所の神社・仏閣を含む、全ての建物が倒壊してしまった。その様は、塵芥となって煙が立ち登り、地鳴りや家の潰れる音は、まるで雷が落ちたようであった。家の中に居れば下敷きとなり、外に出れば地割れの中に落ちてしまう。羽があって空を飛んで逃げるようなことは、竜神でなければ出来ない。世の中で最も恐ろしい出来事は、ただ、地震以外にはないと思うばかりだ」とある。その後、この状態が断続的に約3ヶ月間も続いたという。この地震の被害があまりに大きかったので、縁起をかついで改暦を行い、名称を「文治」とした。そのため新暦の名を冠し「文治地震」という。また、その時期を舞台にした文学作品に『羅生門の鬼』がある。〕によって、首都機能は崩壊して時の貴族政権が倒れただけでなく、国家仏教(平安仏教)であった真言宗と天台宗は共に、主要な施設と人材に甚大な被害を受けたことによる。これに対して真言宗を例に挙げると、施設面では神護寺中興の祖といわれる文覚上人が、次政権の源頼朝の援助によって京都地区の寺院や東寺・神護寺・高野山等の寺院を復興し、事相面では鎌倉時代になり興教大師覚鑁の「十八道念誦次第」等を資料として、後の明恵上人らによって主な文献から復興・復元されたものであり、また、現行のものは鎌倉時代の興正菩薩叡尊に始まる「戒律復興運動」によって事相面での発展をみた江戸時代になって、霊雲寺の浄厳らの碩学により大成された事相の内容を踏襲し、題名と内容とは必ずしも一致するものではなく、儀式の流れを重視した新しい別のものとなっている。 これに対して、「古密教」〔「古密教」とは鑑真和上の請来から、入唐八家(にっとうはっか;最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡の八人)までの密教を指す。古次第として参考になるものとしては、寛平法皇の『小僧次第』、石山寺の淳祐内供の『薫聖教』(国宝)、その外弟子に当る元杲僧都の『元杲次第』がある。また、「古密教」は天台宗においては一度失伝の後、淳祐と元杲に学んだ天台密教中興の祖と呼ばれる元三大師を通じて再伝した。なお、天台密教で用いる「金剛界私記」は、元杲の『成身会次第』が基になっている。〕の事相の中には、歴史的な変動をかい潜って今に伝わるものがあり、その代表的な修法の一つが阿字観であり、他に『十八契印』の修法的な内容を伝える「護身法」や、『吽字義』の実践法の一種「吽字観」等々が挙げられる。 阿字観は別名を阿字観ヨーガ・密教ヨーガとも言うが、現代では中国密教における古法に属する「唐密宗」(唐密:タンミィ)と、チベット仏教のニンマ派の大成就法である「ゾクチェン」にも、異なる密教の阿字観が伝承されていることが報告されている。 日本の真言宗の事相では、大日如来を表す梵字が月輪の中、蓮華の上に描かれた軸を見つめて、姿勢と呼吸を整え瞑想する。この際に、阿字を描く形式上に「金剛界」の阿字と、「胎蔵界」の阿字があるとされているが、これは覚鑁の著作に始まるもので、原典の『大日経』によるものではない。 元々は真言宗の僧侶が修行〔精神鍛錬。〕の方法として実践していたもので、真言寺院に伝えられていた。トレーニングの瞑想法として同法に「 これに関連した密教の瞑想として、同じく『大日経』に基づく『胎蔵界法』に見える各種の「五輪観」〔『胎蔵界法』には内と外と器界の3種類からなる「五輪観」がある。そのうち、内的な瑜伽行法を伝えるのは「内五輪観」。現行の真言宗における『胎蔵界法』の「五輪観」は、3種類の瞑想を一つにした「外五輪観」の卒塔婆(五輪塔)を観想する。しかし、次第の原文に卒塔婆とあるのは、梵語のストゥーパ(仏塔:ここでは宝楼閣)を意味するのであって、「五輪塔」を観想することではない。また、五輪を重ねる順番はチベット仏教と古密教とは同じだが、鎌倉時代以降には覚鑁の著作に基づく五行思想の影響で、順番を逆さに観想している。これは、鎌倉時代に口伝によらず文献から次第を復元したため、「古次第」に記述されている五輪の順番を読み間違えたことによる。〕や、加えて「十八契印」に基づく『護身法』〔多種類あり、ここでは通常の大法中の「護身法」ではなく、観法として修する際の秘伝と称するものを指す。〕と、『金剛薩埵厳身観』に基づく「三密観」〔別名を「吽字観」ともいい、現在の中国密教が伝える「吽字観」や、『四度加行』にみる通常の「三密観」とは内容が異なる。また、先の「護身法」に関連して色々な解釈がある古法の一つ。〕がある。 一般の寺院では今はもう行なわれていないが、古式には「阿字観」を授ける前に『護身法加行』があり、「護身法折紙」や「護身法切紙」を授けた。また、『理趣経加行』もあって、そこでは特別に『金剛薩埵厳身観』の「口伝」や「切紙」を授けたりもした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阿字観」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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