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阿宗神社 : ミニ英和和英辞書
阿宗神社[あそうじんじゃ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [そう, しゅう]
 【名詞】 1. sect 
: [かみ]
 【名詞】 1. god 
神社 : [じんじゃ, かむやしろ]
 【名詞】 1. Shinto shrine 
: [やしろ]
 (n) shrine (usually Shinto)

阿宗神社 : ウィキペディア日本語版
阿宗神社[あそうじんじゃ]

阿宗神社(あそうじんじゃ)は、兵庫県たつの市誉田町に鎮座する神社
欽明天皇32年に、宇佐八幡宮より勧請されて立岡山に鎮座した式内社が、鎌倉期に広山の現在地へ遷座。江戸期には弘山八幡宮と称する。立岡山の旧地には小宮がその後も存在していたが、旧阿宗神社は次第に寂れ、明治中期に現・阿宗神社に遷され、広山の八幡宮は阿宗神社へ改称する。明治初年まで、天台宗斑鳩寺別当持ちの神社で、神職は不在であった。旧県社。旧神饌幣帛料供進社。
== 由緒 ==
:欽明天皇32年(571年大伴狭手彦が勅を奉じて宇佐八幡宮の分霊を立岡山に勧請した
:天平宝字8年(764年) 藤原貞国、新羅軍追討の祈願を行う
:延長5年(927年延喜式の小社に列格
:文治5年(1189年) 内山城主鹽津義綱〔新羅三郎義光の長男・塩津太郎の孫。文治2年(1186年)、源頼朝の下文により近江国より揖保郡内山に移住。塩津左衛門佐義元が延徳年間に広山に移住し、塩津家の祖となる。『兵庫県神社誌』〕が揖東郡廣山村の現在地に遷座
:文永3年(1266年) 杜殿風壊につき再建、楽々山円勝寺別当持となり、神輿行幸の祭典が始まる(それ以前は、紀内山太夫・綾部竹之進らが宮守として奉仕する)
:正応元年(1288年時宗開祖の一遍上人が和歌を奉納
:建武3年(1336年新田義貞足利尊氏討伐の為に本営を置く
:嘉慶2年(1388年)3月 国司前越後守赤松顕則が田地を寄進
:天文6年(1537年) 樂々山円勝寺が廃寺となり、斑鳩寺がこれに替わって別当寺となる
:天文10年(1541年12月2日 兵火のために社殿及び末社を焼失
:天文18年(1549年) 地頭代官周東宗次が鳥居を再興
:元亀3年(1572年10月25日 社殿が炎上する
:天正2年(1574年) 9月 弘山八幡宮として再建
:慶長12年(1607年) 舞殿・拝殿再建
:寛政5年(1793年) 本殿の屋根替を行い、龍野城主生駒侯御供田三反を寄進
:文化7年(1810年) 八幡宮1500年忌祭を執行し、相撲を興行した記録あり    
:文化8年(1811年) 京都吉田家吉田神道)鈴虎縫殿、巡回の節に式内極書を下す
:天保3年(1832年) 龍野藩主脇坂淡路守雨請祈願をする
:明治期に阿宗神社に改称
:明治7年(1874年)2月(明治4年4月とも) 郷社に列格
:明治13年(1880年) 幣拝殿建て替えが落成し、正遷宮及び臨時祭典を執行
:明治14年(1881年)6月 縣社に昇格
:大正5年(1916年) 神饌幣帛料供進神社指定

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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