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阿武 巌夫(あんの いずお、1909年12月2日 - 1939年12月18日〔『東京朝日新聞』1940年1月16日、朝刊8頁。〕)は、日本の男子陸上競技選手。専門は短距離走。山口県出身。 == 経歴 == 1909年、山口県阿武郡大井村(現・萩市)に、大井八幡宮宮司の子息として生まれる〔山口県最初のオリンピック選手 - 萩ネットワーク第35号(2000年9月、pp.8 - 9を参照)〕。山口県立萩中学校(現・山口県立萩高等学校)に進学するが、1927年に山口市の私立鴻城中学校(現・山口県鴻城高等学校)に転学した〔。1928年に京都市で開催された全国中学校大会では100m・200mに優勝した〔。 1929年、慶應義塾大学に進学〔。日本陸上競技選手権大会の200mでは1931年と1932年に連覇を達成している。ベストタイムは100mが10秒7、200mが21秒9であった〔。 在学中の1932年、ロサンゼルスオリンピックに、短距離走の代表として吉岡隆徳らとともに選ばれる。100mは二次予選5位に終わった(レースの詳細はロサンゼルスオリンピック (1932年) における陸上競技・男子100mを参照)が、吉岡・南部忠平・中島亥太郎とチームを組んだ4×100mリレーでは第三走者となり、5位入賞を果たした〔〔オリンピック入賞者 第8回~第11回 - 日本陸上競技連盟〕。 1939年、兵士として出征した日中戦争の南寧作戦中、広西省南寧東北方九塘付近の戦闘(崑崙関の戦いも参照)において中国軍の迫撃砲攻撃により戦死した〔。 出身地である萩市大井地区では、地元の小中学生が参加する「阿武巌夫記念大井地区子ども駅伝大会」が開催されている〔阿武厳夫記念第41回大井地区子ども駅伝大会開催 - 萩市立大井中学校〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阿武巌夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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