|
阿知羅 拓馬(あちら たくま、1992年11月20日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。 == 経歴 == 大阪府生まれ、父が宮崎スポーツ振興会の職員をしている関係で宮崎県で育つ〔JR東日本・阿知羅 拓馬投手!ドラフト指名おめでとうございます! ボールパークドットコム 2013年10月25日〕。西都市立三財中学校時代は、宮崎情熱ボーイズ(現:宮崎西部ボーイズ)に所属し、中学3年時夏の2007年に第18回世界少年野球大会に日本代表チームの一員に選ばれて優勝。阪口慶三監督を慕い、大垣日本大学高等学校への進学を選択した。 大垣日本大学高等学校では1年入学直後よりむしろ2年進級時からベンチ入りし、春季岐阜県大会の準々決勝にて先発デビューを果たした。2年夏にエースナンバーをもらい夏の大会2試合に先発するが、いずれも本調子が出ずに序盤で降板して初戦の郡上北戦は勝利したものの3回戦の県岐阜商戦で敗退した。高校2年秋の岐阜県大会及び秋季東海地区高校野球大会は右股関節痛で登板できず、エースナンバーは葛西(かっさい)侑也(その後新日鐵住金東海REX)に譲り、控え投手を務める。明治神宮野球大会での決勝・東海大学付属相模高等学校戦で復帰を果たし、抑えで9回に登板。セットからの投球で自己最速141キロを記録、2奪三振無失点の力投を見せ、試合は10対9の逆転勝ちで明治神宮大会の初優勝を果たした。 第82回選抜高等学校野球大会(2010年)では準々決勝の北照高等学校戦で先発投手として阪神甲子園球場のマウンドを踏み、フォークボールを武器に9安打1失点完投勝利をマーク。準決勝の興南高等学校戦でも先発した葛西の2番手として登板した。 高等学校卒業と共に東日本旅客鉄道に入社。同社野球部では入社1年目春から公式戦に出場。JABA東京スポニチ大会では日本製紙石巻戦に救援として起用され、2回1安打4奪三振無失点の好投でデビューを飾る。JR東日本時代の3年間で14試合41回(プロ交流戦含む)を経験するも、二大大会での登板機会はなし。3年目9月のJR北海道戦で1安打の好投を演じ、6四死球を出しながらも初完封勝利を挙げた。プロ相手には巨人二軍との5試合に登板し、合計8回で6安打5奪三振4四死球2失点。1年目6月の試合では4回を無安打無失点に封じ、2番手として6対5での逆転勝利に貢献した。 2013年、プロ野球ドラフト会議にて中日ドラゴンズより4位指名を受け、11月20日に仮契約を交わした〔中日、4位阿知羅と仮契約=プロ野球ドラフト 時事通信 2013年11月20日閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阿知羅拓馬」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|