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アーラーラ・カーラーマ(サンスクリット語:Ālāra Kālāma、漢字:阿羅邏迦蘭)は古代インドの思想家で、釈迦が出家後に師事した人物の1人。 ヴァイシャリー城外に在していたという。なお、『因果経』3や『修行本起経』下などでは、阿羅邏と迦蘭を分かち2人とする説もある。またラージャガハ(王舎城)の人ともされる。 南伝仏教の文献によると、釈迦は出家直後に道を求めんとして、彼のもとを訪れ「空無辺処」の教えを聞いて、間もなくその境地を証得した。彼は釈迦が自分と同じ境地を得たことを知ると、自分の弟子の300人を共に率いていくことを要請した。しかし釈迦はその境地は真の悟りを得る道ではないと覚り、彼のもとを去って次にウッダカ・ラーマ・プッタのもとへ行ったという。 なお、『方廣大荘厳経』7では彼の説いた境地は「無所有処」とするので、北伝仏教の仏説ではこれを一般視する向きが多い。 南伝『マーハ・ヴァッガ』には、仏が成道して初めて説法(初転法輪)をする7日前に死んだとされる。なお、五分律では初転法輪の前夜とする。 また『マハーパリニッバーナ経』(いわゆる小乗の『大般涅槃経』・『遊行経』のこと)に、仏の最後から2番目の弟子(在家)として「福貴(Pukksa、プックサ)」という名前が挙げられているが、福貴はもとはアーラーラ・カーラーマの弟子だったといわれる。 檀特山に住み、胎蔵界金剛の功徳を込めた金剛杖を持ち、解脱法を教えた。 ==脚注・出典== 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アーラーラ・カーラーマ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Alara Kalama 」があります。 スポンサード リンク
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