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阿萬亜里沙 : ミニ英和和英辞書
阿萬亜里沙[あまん ありさ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まん]
  1. (num) 10,000 2. ten thousand (used in legal documents)
: [り]
 【名詞】 1. ri (old measure) 2. 2. 44 miles 

阿萬亜里沙 : ウィキペディア日本語版
阿萬亜里沙[あまん ありさ]
阿萬 亜里沙(あまん・ありさ)は、宮崎県日南市出身。日本の元陸上競技選手で、100mの元日本記録保持者(11秒73)でもある。身長150cm〔「頂上(いただき)の記憶―一瞬の栄光を生きたスポーツヒーローたち アリサは帰ってきた」 文芸春秋社、113-133頁 ISBN 4-16-347650-4〕。
== 経歴 ==
日南市で生まれるが、その後宮崎市に移った。小学生時代は喘息持ちながらも、運動会の徒競走では常に一番だった。中学に入ると新体操をやってみたいと思っていたものの、足の速さを買われて陸上部に入部した〔。3年の時にはジュニアオリンピックで優勝を果たした。
宮崎工業高校に進むと、コーチである藤井晃治の指導の下、1年のインターハイでは準決勝で敗れたが、秋になると100mで11秒台を出すようになった。2年のインターハイ100mでは予選、準決勝で11秒台を連発すると、決勝でも当時の日本記録である11秒73を記録して優勝を成し遂げた。(この記録は1991年に野村綾子によって更新されるまで13年間破られなかった)。この決勝では這うような低い姿勢から一気に飛び出したこともあり、とある新聞からは平蜘蛛のようなスタートと形容された〔。
3年のインターハイでは100mで2連覇を果たすと200mでも優勝して2種目制覇を成し遂げた。さらに地元宮崎で開催された国体では200mに出場して優勝した。この時は当時の日本記録を上回る24秒29を出したが、追い風2.1mと僅か0.1m許容範囲を超えていたために公認されなかった〔。
このように大活躍をしていたこともあって陸上競技の盛んな大学や実業団から多数の誘いがあったものの、中学の時から陸上競技は嫌々続けていたこともあって、陸上とは関係ない福岡女学院短大に進学して創作ダンスに取り組むことになった〔。
ところが陸上から2年以上も離れる生活を送っていたところ、再び陸上に取り組みたいという気持ちが芽生えてきて、1982年に短大を卒業後はテレビ宮崎に勤務する傍ら、1人で練習を再開したが、高校時代のコーチである藤井が練習メニューを届けてくれた。また、1人での練習がつらくなると、宮崎工業高校や宗兄弟谷口浩美などのいる旭化成陸上部などに赴いて一緒に練習をさせてもらったりした。その年の秋には全日本実業団対抗大会100mに出場して12秒38で2位となり、全国レベルでのカムバックを遂げた〔。
1983年には全日本実業団対抗大会で久しぶりの11秒台を出して優勝を遂げた。
その後は全日本選手権で2位になるなど活躍するが、1986年の宮崎県選手権を最後に現役を引退することになった。1987年には宮崎工業高校時代にサッカーのユース代表として活躍していた同級生と結婚した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「阿萬亜里沙」の詳細全文を読む




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