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阿蘇 惟将(あそ これまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。肥後国の戦国大名。阿蘇氏20代当主。阿蘇神社大宮司。 == 生涯 == 天文10年(1541年)、阿蘇氏家臣の御船城主・御船房行が薩摩国の島津氏に通じて父阿蘇惟豊に反旗を翻した際、父の命を受け惟将は討伐軍の大将として甲斐宗運の補佐もあり、木倉原の戦いで御船方に勝利し益城郡御船城を攻略、房行を自刃に追い込んだ。 永禄2年(1559年)、父惟豊が死去したために家督を継ぐ。この頃の阿蘇氏は、島津氏や肥前国の龍造寺氏らの圧迫を受けて苦しんでいたが、惟将は甲斐宗運を重用して豊後国の大友氏らと手を結んで、独立の維持を図ったという。その後も他の勢力と巧みに手を結びながら、独立を終生維持した。 天正11年(1583年)に死去し、家督は弟の惟種が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阿蘇惟将」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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