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阿蘇 惟忠(あそ これただ)は、室町時代中期の武将。肥後国阿蘇氏13代当主(阿蘇神社大宮司)。北朝方の武将、阿蘇惟村の孫〔熊本日日新聞編纂・発行『熊本県大百科事典』、1982年、18頁〕。 == 生涯 == 正長2年(1429年)、肥後守護・菊池持朝が烏帽子親となり元服する。永享3年(1431年)、父・惟郷から家督を継ぐ。益城郡を支配するが、阿蘇郡を支配した南朝方の阿蘇惟武の孫・惟兼と対立。宝徳3年(1451年)、惟兼の子・惟歳を養子とすることで両家の和平が成立し、阿蘇・益城両郡の政治的、宗教的支配者の地位を得る。同年、家督を譲った。(後に復帰したという説あり) 寛正2年(1461年)、肥後守護・菊池為邦から、八代郡内海東を宛がわれる。 晩年は惟歳と対立し、文明16年(1484年)、馬門原の戦いで惟歳と交戦し打ち破った。翌年死去する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阿蘇惟忠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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