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阿豺 : ウィキペディア日本語版
阿豺[あさい]
阿豺(あさい、? - 426年)は、中国五胡十六国時代に青海地方に蟠踞した吐谷渾の族長で、本姓は鮮卑慕容氏
兄の樹洛幹が417年に死ぬと、その跡を襲った。自ら驃騎将軍・沙州〔史書によれば、西涼の支配下にあった沙州を指すのでなく、領内に周囲数百里に及ぶ砂漠があったため沙州と称したという。〕刺史と号し、周辺のテイ (民族)族を征服し、大いに版図を広げた。
また、宋 (南朝)と朝貢を行い誼を通じた。宋から澆河公に封じられたが、まだ爵を受けないうちに急病で死去した。
阿豺は死の床にあって、後継者として従兄弟にあたる慕璝を指名した。死後、一族の間で争いが起こるのを恐れ、自らの二十人の子を呼び寄せると、一人一本ずつの矢を出させた。二十本の矢を受け取った阿豺は、そのうち一本を同じく従兄弟である慕利延に渡し、折ってみるよう命じた。矢はたやすく折れた。今度は残りの十九本を束ねて渡して折らせたが、矢は折れなかった。そこで「お前たち分かったか。一本では折れやすいが、集まればくじき難い。皆が心を一にして力を尽くしてこそ社稷を堅固にすることができる。」と諭したという。
次の慕璝の代に吐谷渾は宋だけでなく北魏とも朝貢関係を保ち、勢力はさらに拡大した。
== 関連項目 ==

*3本の棒

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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