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阿部 一二三(あべ ひふみ、1997年8月9日 - )は、兵庫県神戸市出身の、日本の柔道家である。階級は66kg級。身長168cm。血液型はAB型。段位は初段。組み手は右組み。得意技は背負投、袖釣込腰。現在は日体大に在学〔「柔道全日本強化選手名鑑 2016」近代柔道 ベースボールマガジン社、2016年4月号〕〔オール一本、再び全国制す 神戸生田中の阿部選手 〕。憧れの柔道家は野村忠宏〔練習量は誰にも負けない /兵庫 〕。なお、3歳年下の妹の阿部詩も全国中学校柔道大会52kg級で優勝するなど活躍している〔「解体新書 阿部一二三」近代柔道 ベースボールマガジン社、2015年2月号〕。 ==経歴== 6歳の時にテレビで柔道を見て「かっこいい」と思ったことがきっかけで、兵庫少年こだま会において柔道を始めた。最初のうちは怖くてよく泣いていたことから、2歳年上の兄も一緒に道場へ付き添っていたものの、そのうち泣かなくなると兄は辞めていった〔。小学校3年の時に女子選手の鍋倉那美に負けて悔しい思いをしたことで、消防士の父親と本格的なトレーニングに取り組むようになった〔 神戸新聞 2016年1月20日〕。近所の公園で重さ3kgのメディシンボールを横や後ろに投げて体幹を鍛えるなどすると、技の切れも増していったという〔〔〔。ただ、小学生時代は全国大会へ出場するまでには至らなかった。神戸生田中学へ入学してから頭角を現すと、2年の時には全国中学校柔道大会55kg級で優勝を飾った。3年の時には60kg級に出場してオール一本勝ちで2階級制覇を達成した〔。さらにアジアユースでも優勝した〔〕。 神港学園高校へ進学すると、66kg級に階級をあげた。1年の時には全日本カデで優勝を果たして、17歳以下の世界一を決める世界カデに出場するが、決勝でグルジアのコバ・ムチェドリシビリに技ありで敗れた〔Championship Cadets - Miami 〕。全国高校選手権には66kg級が設置されていないことから1階級上の73kg級に出場すると、決勝でバルセロナオリンピック71kg級金メダリスト古賀稔彦の長男である大成高校1年の古賀颯人を小外刈で破って優勝を飾った〔 時事通信 2014年3月20日〕。 2年になると、4月の全日本カデで2連覇を果たした。8月のインターハイでは6試合全てを一本勝ちして優勝を飾った。今大会での圧倒的な勝利に、全日本監督の井上康生は「高校生(のレベル)を凌駕している」、代表コーチの鈴木桂治も「ちょっと半端じゃない勝ちっぷり」と称賛した〔 東京新聞 2014年8月4日〕〔 スポーツニッポン 2014年8月4日〕。なお、阿部は中学時代から将来のエース候補とみなされていた〔「次世代を担う新鋭たち」近代柔道 ベースボールマガジン社、2013年2月号〕。続くユースオリンピックではオール一本勝ちで優勝を成し遂げた〔 スポーツニッポン 2014年8月18日〕。9月の全日本ジュニアでも優勝を遂げた〔 サンケイスポーツ 2014年9月13日〕。10月の世界ジュニアでは決勝で3歳年上であるロシアのエゴール・ムグドシャンと対戦すると、先に技ありと有効を取って大きくリードしながらも、終盤に技ありを立て続けに取られて合技での逆転負けを喫して2位に終わった〔 時事通信 2014年10月24日〕〔World Championships, Fort Lauderdale 2014 DAY 2 〕。団体戦では決勝のグルジア戦を始め、全試合に勝利してチームの優勝に貢献した〔 産経新聞 2014年10月27日〕〔World Championships, Fort Lauderdale 2014 DAY 5 〕。11月の講道館杯では決勝で日体大2年の西山祐貴を技ありで破り、石井慧以来10年ぶり4人目の高校生での優勝を成し遂げた(高校2年での優勝は史上初)〔 読売新聞 2014年11月8日〕〔 デイリースポーツ 2014年11月8日〕。12月のグランドスラム・東京では準々決勝で世界選手権3位であるウクライナのゲオルグリー・ザンタラヤを技ありで破ると、準決勝では世界選手権を3連覇しているパーク24の海老沼匡と対戦して、先に有効を取られるも終盤に技ありを取り返して優勢勝ちを収める金星を挙げると、決勝でもイスラエルのゴラン・ポラックを有効で破り、男子では史上最年少となる17歳にしてグランドスラム大会を制覇することになった。優勝インタビューでは、「うれしいです。準決勝は一番やりたかった世界チャンピオンの海老沼さんに勝てて自信になった。(きょうの柔道に点数を付けると)100点です」と語った〔 時事通信 2014年12月5日〕〔 スポーツ報知 2014年12月5日〕。かくの如き活躍に本人も、トップレベルの強豪高校ではなく地元の神港学園高校へ進学したからこそこれだけの成績を残せたと語っている。また、筋肉が硬くなってケガをしやすくなるとの理由からウェイトトレーニングは行わず、柔道に必要な筋力は普段の練習で身に付けているという〔。2015年2月にはグランプリ・デュッセルドルフに出場するが、3回戦で昨年のアジア大会優勝者であるモンゴルのダワードルジ・トゥムルフレグに技ありで敗れた 〔 スポーツニッポン 2015年2月20日〕。 3年になると、4月の選抜体重別では準決勝で東海大学4年の高市賢悟に後袈裟固で敗れて3位に終わった〔海老沼3年ぶりV、高藤、阿部ら敗退 柔道 日刊スポーツ 2015年4月5日〕。7月にはグランプリ・ウランバートル決勝で地元のダワードルジと対戦すると、技ありを先行しながら逆転の一本負けを喫して2位にとどまった〔志々目がGP大会で優勝…高校生の阿部は準優勝/柔道 サンケイスポーツ 2015年7月3日〕。なお、JOCからネクストシンボルアスリートに選ばれた〔シンボルアスリート及びネクストシンボルアスリートが決定 〕。8月のインターハイでは昨年に続いて6試合全てを2分以内で一本勝ちして2連覇を成し遂げ、自身18回目の誕生日を勝利で飾ることになった〔柔道66キロ級、阿部が連覇=高校総体 時事通信 2015年8月9日〕〔阿部一二三、オール一本勝ちで連覇!東京五輪「絶対に優勝」 スポーツニッポン 2015年8月10日〕。10月のグランプリ・タシュケントではオール一本勝ちで優勝を飾った。なお、この際にIJFから神童と評された〔 時事通信 2015年10月2日〕〔Grand Prix 2015, Uzbekistan - DAY ONE 〕。11月の講道館杯では準々決勝で天理大学4年の丸山城志郎に巴投げで有効を取られて3位に終わり、2連覇はならなかった〔 時事通信 2015年11月7日〕〔 時事通信 2015年11月7日〕。 2016年には日体大に進学した。4月の選抜体重別では準決勝で海老沼と対戦して技ありと有効を取ると、さらには背負落で投げて完勝した。決勝でも昨年の講道館杯で敗れた丸山を指導2で破って今大会初優勝を飾るも、実績からリオデジャネイロオリンピック代表には選出されなかった〔 日刊スポーツ 2016年4月3日〕〔 スポーツニッポン 2016年4月4日〕。 IJF世界ランキングは766ポイント獲得で18位(16/5/2現在)〔World ranking list 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阿部一二三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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