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阿部 信文(あべ のぶふみ、1907年(明治40年)2月24日 - 1983年(昭和58年)12月)は、日本の柔道家、教育者。講道館創始者嘉納治五郎に直接柔道の手ほどきを受けた直弟子〔『鳥取県人名録』(企画・編集 鳥取県人名録刊行委員会 旬刊政経レポート、1987年 715頁)〕。日本柔道界の重鎮だった〔。 全日本柔道連盟評議員・常任理事、境港市教育委員長、鳥取県体育協会評議員、鳥取県柔道連盟会長、境港市体育協会会長〔。 == 経歴 == 鳥取県境港市高松町出身。 米子中学校(現米子東高校)を経て、1930年(昭和5年)に東京高等師範学校体育科卒業〔。私立成蹊高等学校教諭兼教授などを務めた〔。 1924年(大正13年)、全国中等学校柔道大会に松本豊(のち境港商工会議所会頭)や古曵保正(のち講道館常任理事)らと出場、準決勝まで進んだ〔『境港市史 下巻』(1986年(昭和61年)374頁)〕。阿部は後、東京高師に進み、1927年(昭和2年)に講道館四段秋季紅白試合で3人抜き、4人目は府川四段と引き分け、嘉納館長直々「前例なし」と賞されたほどの柔と剛を併せ持った冴えた技の持主だった」〔。同年の明治神宮大会でも個人優勝を果たした〔。 1928年(昭和3年)、全満州対東京学生柔道大会で阿部は縄田四段を背負投に破り、猿丸吉雄四段と引き分けた大勝負は松本鳴絃楼の「柔道名試合物語」に詳記されている〔。1981年(昭和56年)、九段に進んだ阿部は全日本柔道連盟常任理事に就任、第18回オリンピック東京大会では「古式の形」を演じ、審判も務めた〔。 また県柔連会長・第40回国体鳥取県実行委員会常任委員を務め、地元境港市で開催される柔道競技全般の準備を進めると共に市教育委員会委員長の要職にあったが、1983年(昭和58年)12月、77歳で没した〔『境港市史 下巻』(1986年(昭和61年)375頁)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阿部信文」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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