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阿部 四郎(あべ しろう、1940年7月28日 - )は、日本の実業家。「悪徳レフェリー(極悪レフェリーとも)」としてプロレス界に一時代を築いた。 == 経歴 == 福島県出身。東村山市で芸能プロダクション『大和プロ』を、江古田駅前でスナックを経営。北島音楽事務所や全日本女子プロレスの興行にプロモーターとして関わっていた。 1970年代から全女のレフェリーを兼任し、フジテレビの人気番組「オレたちひょうきん族」の一コーナー「ひょうきんプロレスアワー」のごく初期にも、レフェリー兼リングアナウンサー役を務めている。 1980年代初頭、デビル雅美が率いたヒール軍団「ブラック・デビル」の末期に、突如としてデビル軍団側に肩入れする不公正なレフェリングをし始めたため、植田信治コミッショナーは凶器使用禁止令を下すと共に、阿部にも暫くの出場停止と減給処分を言い渡した。 その後、凶器使用禁止令を遵守しようとするデビルと、凶器の使用にこだわるダンプ松本、マスクド・ユウとの間で対立が発生。業を煮やしたデビルは、デビル軍団の解散を宣言する(その後デビルは山崎五紀を帯同し、ベビーフェイス寄りでこそあれ、一匹狼の道を歩むこととなる)。 デビルに謀反した松本とユウが、新たなヒール軍団「極悪同盟」を結成すると、今度は「下積みを強いられてきたダンプがかわいそうだから」と極悪同盟に加担、以後は度重なるコミッショナーの警告を受けながらも、極悪同盟側が行う反則を見ていなかったことにして黙認、極悪同盟側を有利にカウントする可変速カウントは当たり前の極悪同盟を徹底的に贔屓する極悪レフェリングを展開し、果ては極悪同盟とお揃いのコスチュームで一緒に現れる悪徳レフェリーとして、当時、人気絶頂にあったクラッシュギャルズを始めとするベビーフェイス勢を大いに苦しめ、会場のファンからの怒号を集めた。ダンプも阿部に関して「阿部四郎さんは今でも私にとって、とても大切な仲間です。」と自身のブログ内やインタビュー等で語っている。 阿部の悪行を実況席から指弾し続けたアナウンサーの志生野温夫とは、実は旧知の仲である。 「めちゃ×2イケてるッ!」の「格闘女神MECHA」コーナーで岡村隆史扮するレフェリー「岡村四郎」のモデルになり、また、同コーナーでの極楽とんぼ扮する「極楽同盟」と現役女子プロレスラーとのタッグ対決では、本人が登場して往時を髣髴とさせる極楽同盟贔屓のレフェリングを披露した。 近年はIWAジャパンを主戦場としていた。日刊ゲンダイのインタビュー「あの人は今こうしている」(2005年と2010年の2度登場)では、レフェリーとしてギャラの支払を殆ど受けていなかった事、松永兄弟に対して巨額の売掛金があり、うやむやのまま結局未収になったのみならず、全女の借金の保証人だったため、2008年に東村山市の自宅を差し押さえられた事などを愚痴っている。 ZERO1-MAXのメインレフェリーを務めた阿部信輔は息子で、父とは異なり公平で正統派なレフェリングである。 2009年7月9日、新宿FACEで行われた「NOSAWA-BON-BA-YE 5」の、クラッシュギャルズ25周年メモリアルマッチ・長与みのる&ライオネス高山VSダンプ菊&ブル坂井の試合をもってレフェリーを引退し、芸能プロダクションと、立川駅前のスナックの経営に専念している。 現在は地元福島でプロモーター。 レフェリー引退後も、2012年1月8日のブル中野引退興行(TDCホール)、2014年3月22日の長与千種プロデュース興行(大田区総合体育館)に参加し、可変速カウントなどの往時のレフェリングを披露した。 2014年5月31日放送のめちゃイケでは、9年ぶりに行われためちゃ女のメインイベントである新・極楽同盟の試合にて、レフェリーとして再び登場した。12月9日に椿山荘で開催された「X'mas チャリティ・プロレス・ディナーショー!」には、 ダンプ松本側に味方する特別セコンドとしてブル中野とともに参戦した。 同じ時期にWNCのソフト今井が阿部に弟子入りし、以降はREINAにおけるダンプや堀田祐美子らの試合で師匠を髣髴させる悪徳レフェリーぶりを炸裂している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阿部四郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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