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阿部 守太郎(あべ もりたろう、明治5年11月10日〔『大分県人士録』pp.266-268〕(1872年12月10日) - 大正2年(1913年)9月6日〔『回顧八十年史 第16輯』〕)は、日本の外交官、外務省政務局長。 == 経歴 == 大分県下毛郡桜洲村(現在の中津市)出身〔。第三高等中学校を経て、1896年(明治29年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業した〔。同年、高等文官試験に合格し、大蔵属として主計局、理財局、主税局に勤務した〔。翌1897年(明治30年)、外務書記官に転じ、通商局第二課長心得となった〔。1899年(明治32年)、参事官に昇進し、翌年からは加藤高明外務大臣の秘書官も兼任した〔。1901年(明治34年)、イギリス公使館二等書記官となり、1905年(明治38年)からは清国公使館一等書記官を務めた〔。1909年(明治42年)、再び外務省参事官となり、1912年(明治45年)には政務局長に任命された〔。 1913年、第二革命が勃発していた中華民国で、北京政府軍が9月1日に南京を占領した際に、日本人が惨殺された〔。外務省の姿勢を軟弱として批判が高まるなか、9月5日、阿部は岡田満・宮本千代吉の2名によって刺され、翌6日に死去した〔。同日、阿部は駐ベルギー特命全権公使に任ぜられた〔『官報』第334号、大正2年9月8日。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阿部守太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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