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阿部 成章(あべ しげあき、 - )は、山形県鶴岡市出身の元バスケットボール選手である。山形県加茂水産高校、日本体育大学卒業。ポジションはガード。 == 来歴 == 加茂水産高校から日本体育大学を経て、日本鉱業に入社。 入社一年目の第4回日本リーグでは、MVPこそ日本鋼管の谷口正朋に譲ったが、ベスト5・新人王・得点王とタイトルを総なめした。その時に手が届かなかったMVPも日本鉱業の日本リーグ初優勝時(第4回)に獲得している。日本リーグのベスト5は第4回大会から第8回大会まで5年連続獲得している。 全日本としてミュンヘンとモントリオールの五輪2大会に出場、モントリオールでは主将を務め、準決勝リーグのプエルトリコ戦で34点を叩き出した。これは現在でもバスケットボール男子日本代表のオリンピック最高得点である。 日本体育大学から実業団の強豪チームへ入社した第一号であり、これ以降日本体育大学の選手が実業団チーム入りするようになった。プレーヤーとして秀でていたことは言うまでもないが、日本リーグの第一号外国人選手だったジェローム・フリーマン(松下電器)が、『月刊バスケットボール』のインタビューで「日本人選手で一番好きな選手は阿部さん」と発言するなど、多くのプレーヤーの範となった。 引退後はコーチ・ヘッドコーチなどを歴任。 ポジションについては「ガード」という記述もあるが、単にガードというよりは、NBAのピート・マラビッチ的な選手であり、現在ではコンボガードあるいはスウィングマンにあたる。当時所属の日本鉱業でも「ガード」という枠では使っていない 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阿部成章」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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