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阿部 敏之(あべ としゆき、1974年8月1日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市桜区)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 == 来歴 == 浦和市立田島中学校3年次には全国中学校サッカー大会ベスト4。帝京高等学校2年次には松波正信らと共に高校選手権優勝に貢献しU-20日本代表候補に選出された経験を持つ。 筑波大学を中退して1995年に鹿島アントラーズに入団。ブラジル留学を経て、鹿島アントラーズにて主力として活躍。フィリップ・トルシエ監督就任直後の1998年9月には日本代表候補にも選ばれた。 2000年、出場機会を求めて浦和レッドダイヤモンズに移籍。チームはJ2ながらこのシーズンは自己最多の7得点を挙げ、チームのJ1昇格に貢献した。2002年は新たに就任したオフト監督の戦術と合わず出場機会が減少し、シーズン中にチームを去ることとなった。 その後、ベガルタ仙台、アルビレックス新潟などに在籍するが、度重なる怪我もあり満足に活躍できたシーズンは少なかった。2004年限りでアルビレックス新潟を戦力外になったが、2005年2月、鹿島アントラーズの宮崎キャンプに練習生として参加。2月28日、鹿島と契約し、6年ぶりに古巣に復帰したもののこの年限りで鹿島を退団することとなり、そのまま現役引退。 引退後は、故郷である浦和のFM浦和にて毎週火曜日午後4時からビートきよしの「ソレソレれっずゴー」内の「あべちゃんコーナー」を担当。毎週金曜日、川口市にあるサッポロジムのフットサルスクール特別講師、埼玉県社会人リーグ1部所属のアヴェントゥーラ埼玉のコーチ、サッカー専門新聞「EL GORAZO」に評論記事の掲載を開始する等、幅広く活動を続けた。 現在は、名古屋経済大学サッカー部監督。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阿部敏之」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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