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阿部 昭(あべ あきら 1934年9月22日 - 1989年5月19日)は日本の小説家。 二男の阿部龍二郎はTBSテレビ編成制作本部編成局編成部長。 ==来歴・人物== 海軍軍人阿部信夫の息子として広島県広島市白島(現中区白島)に生まれ、父の転勤に伴い、1935年春から神奈川県藤沢市鵠沼に育つ。 1935年12月に、市内の鵠沼海岸下鰯に転居。1939年、片瀬乃木幼稚園(現在の湘南白百合学園幼稚園)に入園。1941年、藤沢第一国民学校(現在の藤沢市立藤沢小学校)に入学。新制の藤沢市立第一中学校に1期生として進む。神奈川県立湘南高等学校では石原慎太郎、江藤淳の一学年下だった。東京大学文学部仏文科に進んだが大江健三郎はほぼ同期、大学時代は学生演劇に熱中するかたわら、後のチェリスト堤剛と安田謙一郎の家庭教師を務めた。1953年8月、鵠沼松が岡に転居。 1959年に大学を卒業してラジオ東京(現在のTBS)〔会社法人としては現在の東京放送ホールディングス。放送局としては現在のTBSテレビ・TBSラジオ&コミュニケーションズ。〕に入社し、ラジオやテレビのディレクターとして活躍。勤めのかたわら小説を書き続け、1962年に「子供部屋」で文學界新人賞を受賞。1968年に処女短篇集『未成年』を刊行。 1970年、短篇「司令の休暇」で注目を集める。1971年、TBSを辞して専業作家となり、翌年辻堂東海岸へ仕事場を設け、自宅から自転車で通う。1973年、『千年』で毎日出版文化賞受賞。1976年、辻堂東海岸に一家転住。同年、『人生の一日』で芸術選奨新人賞受賞。芥川賞候補になること6回(芥川賞史上最多記録)。 1歳から生涯住み続けた湘南や、鵠沼(1976年まで在住)を舞台にした作品が多い。小説のモティーフは、敗戦後に権威失墜を味わった元軍人の老父や、知的障害を持つ兄や息子など自らの家族に関わることが多く、私小説の系統を引いていて、「内向の世代」の作家である。短篇小説の名手として知られ、評論集『短編小説礼讃』(1987年、岩波新書)も反響を呼んだ。『言葉ありき』などのエッセイ集も評価が高い。また、プロ野球では阪神タイガースファン兼阪急ブレーブスファンだった〔文藝春秋デラックスNo.37(1977年5月1日発行)「テレフォン・アンケート/有名人ごひいきチーム一覧」より。〕。 1989年5月19日12時30分、辻堂東海岸にて55歳の若さで病死(急性心不全)。墓所は夢想山本真寺(浄土宗 神奈川県藤沢市鵠沼海岸)。 全8巻の『阿部昭全作品』(福武書店)と全14巻の『阿部昭集』(岩波書店)がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阿部昭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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