翻訳と辞書
Words near each other
・ 阿部栄次
・ 阿部桂一
・ 阿部桐子
・ 阿部榮次
・ 阿部次男
・ 阿部次郎
・ 阿部正
・ 阿部正あきら
・ 阿部正三郎
・ 阿部正之
阿部正令
・ 阿部正俊
・ 阿部正信
・ 阿部正倫
・ 阿部正備
・ 阿部正允
・ 阿部正功
・ 阿部正勝
・ 阿部正右
・ 阿部正喬


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

阿部正令 : ミニ英和和英辞書
阿部正令[れい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [れい]
  1. (n,n-suf,vs) command 2. order 3. dictation 

阿部正令 ( リダイレクト:阿部正能 ) : ウィキペディア日本語版
阿部正能[あべ まさよし]
阿部 正能(あべ まさよし、寛永4年(1627年) - 貞享2年4月13日1685年5月15日))は、江戸時代前期の老中上総国大多喜藩主、武蔵国忍藩主。忠秋系阿部家2代。官位は従四位下、播磨守。
== 生涯 ==
武蔵国岩槻藩主・阿部正次の長男・阿部政澄の長男。母は加藤清正の娘・本淨院。同族(従叔父)である阿部忠秋の養子となる。従四位下、播磨守を称する。名前ははじめ正令、後に正能と改めた。正室は牧野信成の娘。子に阿部正武(長男)、阿部正明(次男)、阿部正房(三男)、阿部正員(四男)、娘(松井松平康宦正室)。
承応元年(1652年)、忠秋の養子となる。寛文11年(1671年)、忠秋の隠居により藩主に就任。延宝元年(1673年)に老中となったが、同4年(1676年)辞任。翌5年(1677年)隠居し、長男の正武に家督を譲った。貞享2年(1685年)死去した。
忠秋は、家督を譲るにあたって自筆の覚書を記し、藩主としての心得および将軍家への奉公を説いている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「阿部正能」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.