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阿部正寧 : ミニ英和和英辞書
阿部正寧[あべ まさやす]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [やすし, むしろ]
  1. (io) (adv) rather 2. better 3. instead

阿部正寧 : ウィキペディア日本語版
阿部正寧[あべ まさやす]
阿部 正寧(あべ まさやす、文化6年10月24日1809年12月1日) - 明治3年7月1日1870年7月28日))は、江戸時代後期の大名備後福山藩第6代藩主。阿部家宗家10代。
福山藩第5代藩主・阿部正精の三男。母は井出氏。正室は佐賀藩主・鍋島斉直の娘。子に正教(長男)、正方(三男)、娘(阿部正耆正室)、娘(松平直静養女)、娘(阿部正義正室)。官位は従五位下、対馬守、伊予守。
== 生涯 ==
先代藩主・正精の三男として江戸藩邸で生まれた。兄の正粹が廃嫡されたため嫡子となり、文政9年(1826年)8月24日、18歳で家督を継ぐ。
天保2年(1831年)、奏者番に任じられたが、病気を理由に辞職した。藩政にも消極的で、福山藩は天保2年(1831年)に大洪水、その翌年の凶作、さらに天保7年(1836年)の大凶作に見舞われるが、特別な対策を講じないまま、同年に28歳で家督を弟の正弘に譲って隠居した。なお、天保2年には一揆の動きもあったが、これは事前に発覚し、首謀者は処断されている。
正寧は文化政策に対しても先代・正精のような熱心さはなく、「福府義倉」への援助もなくなった。ただ、自らは隠居後、不争斎と号して文筆に親しんだ。
正寧は隠居後40年近く生き、明治3年(1870年)7月1日に62歳で没している。弟の正弘、隠居後に儲けた長男の正教、三男の正方の以後3代の藩主は、その間に次々と死去している。常徳院寛譽主善元良とされ、江戸浅草西福寺に葬られた。現在は東京都台東区谷中に墓所がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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