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阿部 浩之(あべ ひろゆき、1989年7月5日 - )は、奈良県北葛城郡出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ガンバ大阪所属。ポジションはミッドフィールダー。 == 来歴 == 奈良県北葛城郡出身。小学1年生の頃から地元の少年団でサッカーを始める。中学時代は県下の強豪クラブである高田FCのジュニアユースチームでプレーし、高校は新たにサッカー部が創部したばかりの大阪府の大阪桐蔭高校に進学。創部3年目の2007年には主将としてチームを初のインターハイ出場(ベスト8)に導いた。 高校卒業後は加茂周が監督を務める関西学院大学に進学。司令塔、ストライカーとして活躍し、個人としても関西大学選抜、全日本大学選抜、U-21日本代表などに選出され、2010年にはトゥーロン国際大会に日本代表メンバーとして出場した〔(2010-05-12)U-21日本代表 フランス遠征メンバー(第38回トゥーロン国際大会) 日本サッカー協会〕。2011年、関西学生サッカーリーグでは通算19得点を挙げて1部リーグ得点王に輝き、同じくプロ入りが決まっている同期の梶川諒太と共にベストイレブンに関学大から2名が選出され〔“得点王”関学大・阿部がMVP…関西学生・表彰式 スポーツ報知、2011年12月12日〕。リーグMVPにも選ばれた。 2012年、前年にJリーグの4クラブの練習に参加し、ヴィッセル神戸など他のクラブからもオファーがあったが〔、最終的に「自分を成長させられる環境」としてJリーグ・ガンバ大阪に入団〔〔C☆voice46 関西学院大MF阿部浩之「ガンバにとって必要なこと、今できないことをやってチームの力になる」 ゲキサカ、2011年8月8日〕。3月10日、J1開幕戦の神戸戦でJリーグ初出場を果たす。4月14日、J1第6節川崎フロンターレ戦でJリーグ初ゴールを決め、このゴールがガンバの2012年リーグ戦初勝利の決勝点となった。その後も主にスーパーサブとして起用された。 2013年は開幕スタメンに抜擢されチーム初ゴールを決めた。その後は前年同様、スーパーサブでの起用が多かったものの、日本人チーム3位タイの5得点を記録した。 2014年は開幕こそ怪我で出遅れるも復帰後はシーズン通してレギュラーとして活躍し、Jリーグ優秀選手賞を初受賞。セレッソ大阪との大阪ダービーでは2試合3得点の「ダービー男」ぶりを発揮するなど、リーグ戦はチーム3位の7得点を記録する。また、中盤の2列目からの積極的なハードワークで攻守両面にわたり奮闘し、ガンバの国内三冠に大きく貢献した。 2015年もシーズン通してハードワークを惜しまず攻守両面で存在感を発揮。フォーメーションが4-2-3-1になった後半戦は右サイドハーフのレギュラーに定着した。 2015年の公式戦出場はチーム3位の58試合にのぼった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阿部浩之」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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