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阿部 翔平(あべ しょうへい、1983年12月1日 - )は、神奈川県出身のサッカー選手。ポジションはDF(おもに左サイドバック)。ジェフユナイテッド市原・千葉所属。 == 来歴 == 小学校1年生で黒滝サッカークラブでサッカーを始める。中学校時に地元の横浜フリューゲルスジュニアユースへ推薦を受け、そのままチームが消滅する1998年まで所属した。 船橋市立船橋高等学校へ進学。3年生時にはミッドフィールダーとして背番号10を背負ってキャプテンを務め、高校選手権にも出場した。筑波大学進学後はディフェンダー(サイドバック)へ転向し、4年生時にはユニバーシアード日本代表に選出された〔 - 大学サッカーニュース(2005年6月24日)〕。大学での同期には来栖由基、秋葉陽一、藤本淳吾、中野洋司がいる。 2006年、名古屋グランパスエイトへ入団。2007年シーズン途中から主に左サイドバックや左サイドハーフでの出場機会が増え、また負傷者が続出したチーム事情からセンターバックを務める場面もあった。体格は大きくないながらも高い身体能力で守備をこなし、この年のチームの新人王を獲得した。 2008年に就任したストイコビッチ監督によって、基本システムが3バックから4バックに変更される過程で左サイドバックに定着し、リーグ戦全34試合に出場した。また、前年まで有村光史が背負っていた背番号6に変更された。6月8日ヤマザキナビスコカップ予選リーグ第6節浦和レッズ戦でプロ入り初ゴールを決めた。12月には日本代表に初招集され、Jリーグアウォーズ優秀選手賞にも選出された。 2009年以降も左サイドバックのレギュラーとしてほぼ全試合に出場を続けたが、2013年シーズンをもって名古屋を退団することが発表された。 2014年1月7日、ヴァンフォーレ甲府への加入が発表された。8月23日のガンバ大阪戦でJリーグ初得点を記録。247試合目での初得点は桑原裕義の244試合を更新するJ1最遅初得点記録となった。 甲府では全試合に左ウイングバックとして先発出場。2年連続の残留に大きく貢献した。 2015年12月15日、ジェフユナイテッド市原・千葉への完全移籍が発表された。初めてのJ2でのプレーとなる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阿部翔平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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