翻訳と辞書
Words near each other
・ 阿部達郎
・ 阿部邦一
・ 阿部邦子
・ 阿部醒石
・ 阿部里果
・ 阿部重典
・ 阿部重典のOh!ワンダフル
・ 阿部重典のアットマーク
・ 阿部重典の元気マーケット
・ 阿部重四郎
阿部重孝
・ 阿部重次
・ 阿部野
・ 阿部野橋ターミナルビル
・ 阿部野橋ターミナルビルタワー館
・ 阿部野橋ターミナルビルタワー館(仮称)
・ 阿部野橋ターミナルビル・タワー館
・ 阿部野橋駅
・ 阿部野神社
・ 阿部金剛


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

阿部重孝 : ミニ英和和英辞書
阿部重孝[あべ しげたか]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important
: [こう]
 【名詞】 1. filial piety 

阿部重孝 : ウィキペディア日本語版
阿部重孝[あべ しげたか]
阿部 重孝(あべ しげたか、1890年2月11日 - 1939年6月5日)は、日本の教育学者。新潟県生まれ。
1913年東京帝国大学文科大学教育学科を卒業。1919年文学部教育学講座助教授、1934年教授に就任。専門は教育制度および教育行政。教育学研究室教育思潮研究会の基礎を作った。海外教育思潮の研究者兼紹介者。制度の分析に関しては、国を代表する第一人者の立場にあった。六・三・三制(6・3制)への移行を唱えた。アメリカ教育制度を研究し、ロシア教育学における心理学応用を紹介した〔アレクサンドル・ネチャーエフらによる心理学と実験教育学とに関する研究を紹介した。〕。教育科学という術語の普及をはかった一人でもある。晩年には、教育研究会〔後藤文夫、関口泰、宮島清、田澤義鋪、佐々木秀一、後藤隆之助、阿部が構成員。〕を組織し、これは1937年5月教育改革同志会に発展、同年の教育制度改革案の作成を主導した。〔『阿部重孝著作集全8巻』日本図書センター、1983年〕〔城戸幡太郎著『教育科学七十年』北大図書刊行会、1978年〕
==論文==

*「学制改革問題」1931年
*「学科過程論」1932年
*「教育財政」1933年
*「教育研究法」1933年

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「阿部重孝」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.