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阿野季綱 : ミニ英和和英辞書
阿野季綱[あの すえつな]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [の]
 【名詞】 1. field 
: [き]
 【名詞】 1. season 2. season word or phrase (in haiku) 

阿野季綱 : ウィキペディア日本語版
阿野季綱[あの すえつな]

阿野 季綱(あの すえつな、文明3年(1471年)-永正8年9月16日1511年10月7日))は、戦国時代の公卿。阿野公熈の子。母は勧修寺経成の娘。養子に阿野季時
父・公熈は応仁の乱の際に葉室光忠(室は公熈の従兄弟)とともに足利義視を支持し、母もかつて義視の寵愛を受けていたとされる事から、義視の子である足利義材将軍になるとその信任を受けた。明応の政変の際にも義材に近侍していたが、京都に脱出(脱出に失敗した葉室光忠は処刑されている)している。
その後、明応7年(1498年)になって突然京都を脱出して越中国に亡命中の足利義材に合流し、東坊城和長に義材の改名の相談を持ち掛けるなど、京都の朝廷や公家との連絡係を務めている。永正5年(1508年)に足利義稙(義材を改名)が京都に戻って将軍に復帰すると、その推挙によって同年7月16日に参議左近衛中将に任ぜられ、位階も従四位上に進められた。復帰後の季綱は義稙の為に朝廷や公家達との交渉を行ったほか、細川高国大内義興に義稙の意向を伝えるなど、将軍側近の地位を得るに至った。一方、永正6年(1509年)に正四位下、永正8年(1511年)に従三位に叙せられるが、同年に41歳で急死した。
== 参考文献 ==

*『公卿人名大事典』(野島寿三郎編、日外アソシエーツ、1994年(平成7年)、ISBN 4816912444)32ページ「阿野季綱」
*木下昌規「足利義稙の側近公家・阿野季綱の役割をめぐって」『戦国史研究』56号(2008年)/改題所収:「足利義稙の側近公家衆の役割をめぐって」木下『戦国期足利将軍家の権力構造』岩田書院、2014年 ISBN 978-4-87294-875-2



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「阿野季綱」の詳細全文を読む




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