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降旗 元太郎(ふるはた もとたろう、元治元年5月7日〔漆崎多四郎『貴衆両院議員名鑑』、1919年、p.14。〕(1864年6月10日) - 昭和6年(1931年)9月15日〔『官報』第1426号、昭和6年9月29日〕)は、日本の衆議院議員(憲政党→憲政本党→立憲同志会→憲政会→立憲民政党)。 == 経歴 == 信濃国筑摩郡本郷村(現在の長野県松本市)で、父降旗孝吉郎、母たきの長男として生まれた。郷里で漢学を学んだ後、慶應義塾に入学した。1882年(明治15年)、東京専門学校(現在の早稲田大学)に転じ、政治経済科を卒業した〔『新選代議士列伝』p.343〕。卒業後は帰郷し、1886年(明治19年)に信陽日報(のち信濃日報)の社長となった〔『代議士詳覧』p.323〕。さらに本郷蚕種業組合組長・信濃蚕業伝習所長などの役職を歴任して、養蚕業の発展に貢献した〔『新代議士名鑑』p.196〕。その他、出獄人保護院も設立している〔『衆議院要覧』〕。 1888年(明治21年)、県会議員に選出され、1891年(明治24年)には信濃民党を組織した〔。1898年(明治31年)、第5回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。河野広中、中村弥六、花井卓蔵とともに普通選挙の実現に尽力した〔。加藤高明内閣で鉄道政務次官・陸軍政務次官、第1次若槻内閣で海軍政務次官を歴任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「降旗元太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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