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院内銀山(いんないぎんざん)は、秋田県雄勝郡院内町(現在の湯沢市)にあった鉱山である。「東洋一」の大銀山とうたわれ、年間産出量日本一を何度も記録している。 ==歴史== === 江戸時代 === 院内銀山は、1606年(慶長11年)に村山宗兵衛らにより発見され、開山した。1617年にローマで作成された地図にもその名が記されている。金及び銀を産出し、江戸時代を通じて日本最大の銀山であった。久保田藩(秋田藩)によって管理され、久保田藩の財政を支える重要な鉱山であった。 江戸時代の中期に、鉱脈の枯渇により一時衰退の兆しを見せたが、1800年以降新鉱脈の発見により持ち直し、鉱山の最盛期には、戸数4,000、人口15,000を擁し、城下町久保田(現在の秋田市)を凌駕する藩内で最も大きな街となり、「出羽の都」と呼ばれるほどの繁栄を誇った。天保年間には、久保田藩から院内銀山に、門屋養安という医師が派遣された。32年にわたって、医師のみならず銀山の経営にも携わり、宿屋の経営も行った。彼は院内銀山の全てを知りうる立場であり、彼が著した『門屋養安日記』には、銀山の経営から採掘技術、季節の風物詩、風習、衣食住から、銀山で発生した事故・疾患・天災に至るまで事細かに記されており、幕藩体制下の院内銀山を知る貴重な資料となっている。 他の主要鉱山が幕府直轄地であったのに対し、院内・阿仁の両鉱山を有し、ともに藩営とした久保田藩は、森林資源を「木山(きやま)」、鉱山資源を「金山(かなやま)」と呼び、両者によって財政的には潤ったともいわれている。また、伝統工芸の秋田銀線細工も豊富な院内銀山の産出した銀によっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「院内銀山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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