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陣幕哲也 : ミニ英和和英辞書
陣幕哲也[じんまく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [じん]
 【名詞】 1. battle formation 2. camp 3. encampment
陣幕 : [じんまく]
 (n) camp enclosure
: [とばり, まく]
 【名詞】 1. curtain 2. bunting 3. act (in play) 
: [なり]
 (n) a sum of money

陣幕哲也 ( リダイレクト:富士乃真司 ) : ウィキペディア日本語版
富士乃真司[ふじのしん つかさ]
富士乃真 司(ふじのしん つかさ、1960年11月6日 - )は、千葉県船橋市(出生地は千葉県山武郡)出身で九重部屋(入門時は井筒部屋)に所属した元大相撲力士。本名は矢木 哲也(やぎ てつや)。最高位は東前頭筆頭(1988年1月場所)。身長181cm、体重147kg。得意手は左四つ、寄り。現在は年寄陣幕
== 来歴 ==
中学時代は野球部に所属していた。中学2年の時に相撲に興味を持ち、同級生で同じく野球部に所属していた6代木村玉治郎と供に、蔵前国技館まで良く足を運んでいたという。中学を卒業後、元横綱北の富士が率いる井筒部屋に入門し、1976年3月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の大関北天佑や前頭の天ノ山幕下付出)らがいる。当初の四股名は、本名でもある「矢木」。翌年11月場所前には、井筒が年寄・九重(元横綱・千代の山)の逝去により九重へ名跡変更したことに伴って、九重部屋へと所属が変更している。
その後、1985年1月場所で新十両に昇進。この時は在位2場所で陥落したが、同年11月場所で2度目の十両昇進を決めると、以後は勝ち越しを続けて翌年9月場所で新入幕を果たした。当時の四股名は「富士光」。同場所は6勝9敗の負け越しに終わって1場所で十両に陥落したが、1年後の1987年9月場所で再入幕し、以降は幕内に定着した。なお、「富士乃真」と改名したのは、1987年3月場所である。
1989年9月場所12日目、富士乃真(当時、西前頭3枚目)は太寿山戦を前に土俵下で控えていた。ところが、益荒雄との取組中だった三杉里が投げの打ち合いになった際に土俵下に転落し、富士乃真の左足に三杉里の廻しが激突した。このアクシデントにより富士乃真は立ち上がれない状態となり、不戦敗となった。診察の結果、左腓骨と左距骨骨折で全治2ヶ月の負傷と診断され休場することとなり、対戦相手が決まっていた翌13日目も不戦敗となっている。なお13日目に不戦勝になった相手は、皮肉にも三杉里だった。土俵上の怪我ではないため、当時設けられていた公傷制度は適用されなかった。
翌場所は東前頭14枚目で全休して幕内から陥落し、その後も成績は振るわず幕下下位にまで番付を落とし、1990年9月場所限りで引退した。
重心が低い点を生かし、相手のふところに入って寄ったり投げたりする相撲が得意で、「くすぐり相撲」とも呼ばれた。だが怪我が多く、そのため力士としては大成できなかった。大汗かきだが、性格は温厚である。
引退後は年寄・錦戸(水戸泉から借用)を経て同・陣幕(元横綱北の富士勝昭より取得)を襲名し、日本相撲協会では審判委員を務めている。現在は八角部屋に所属し、後進を指導している。現役引退後、陣幕が減量に成功したことに倣って一見元力士とは思えぬほど、細身の体型になっている。引退相撲は行わず断髪式は国技館の大広間で関係者のみで行った。
2001年5月場所7日目には年寄・陣幕として幕下の取組を審判中、栃不動に押し出された須佐の湖が土俵下に転落してきて激突。この際、右足を骨折するという12年前と同じような不運に見舞われている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Fujinoshin Tsukasa 」があります。




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