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陣幕 嘉七(じんまく かしち、1885年(明治18年)2月4日(5月18日説あり) - 1938年(昭和13年)6月21日)は兵庫県加東郡杜村(現・加東市)出身の大相撲力士。本名は西村嘉七。大阪相撲で活躍し最高位は大関。 == 略歴 == 八陣調五郎の12代小野川に入門し、濱ヶ崎 国吉(国五郎)を名乗り1905年(明治38年)1月序二段が初見。1908年(明治41年)6月十両。1910年(明治43年)6月番付発表後に大門 仁王太夫と改名。1911年(明治44年)2月入幕。1914年(大正3年)5月関脇に登った。 184cm117kgは当時としては四股名に恥じない大型力士。左四つ吊り寄りを得意とし両廻しを引けば強みを発揮した。1917年(大正6年)1月場所7日目に12代陣幕 嘉七を襲名。翌5月大関となる。 大関を6場所務めて1920年(大正9年)5月関脇に下がり1922年(大正11年)5月限りで引退し頭取(年寄)専務となった。引退後は陣幕部屋を起こし弟子を育成、東西合併後も勝負検査役を務めた。1938年(昭和13年)6月21日52歳で死去。 実弟は濱碇大五郎と名乗って大阪で幕内を務め(大正3年1月入幕、最高位前頭4枚目)のち東京に移って神力大五郎の名で十両筆頭(大正8年1月)まで昇進した。 幕内21場所 82勝64敗7分11預 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「陣幕嘉七」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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