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陰陽座(おんみょうざ)は、日本のヘヴィメタルバンド。「妖怪ヘヴィメタル」をキャッチフレーズとし、公式ファンクラブは「式神倶楽部」(会員を式神と呼ぶ)。 和服や平安装束のような衣装を着用し、人間のあらゆる感情を映す妖怪を題材としている。そのコンセプトやルックスから所謂「色物」と扱われることもあり、また2000年代の「ネオ・ヴィジュアル系」ブームや海外におけるジャパニメーションブームとの関連を語られることもあるが、音楽性は端正かつ叙情的な王道のヘヴィメタルを志向しており、男女ツインヴォーカルによる表現の振れ幅の広さは特筆に値する。特に女性ボーカル黒猫の美声には定評があり、陰陽座が誇る希代の歌姫と称されている。 “鎮魂歌”を「レクイエム」(「文車に燃ゆ恋文」)、“業”を「カルマ」(「式を駆る者」)と歌った楽曲などが存在してはいるものの、基本的には歌詞から日本語以外の言語を極力排除し、古語・漢語を多用する。言葉の響きと漢字の意味の両立にこだわった独特の詞風を遵守しているが、その題材は妖怪や説話・伝承を中心に、山田風太郎の『忍法帖シリーズ』のオマージュである「○○忍法帖」シリーズ、京極夏彦や手塚治虫の本歌取り、瞬火、招鬼、狩姦らの出身地である愛媛県の方言を交えた土俗的なものなど幅広い。2004年には源義経を題材とした組曲を発表するなど、一貫して日本的なテーマを取り上げている。これらのコンセプトは大半の作品で作詞作曲に携わっているベース兼ボーカル瞬火によるものである。 すでに全都道府県を2周しているという事実が物語るように、生粋のライヴバンドとして全国ツアーを積極的に行っている。アンコールを行う回数が多いことでも知られ、ツアーライブでは4回、5回もアンコールをするのが恒例となっている。また、ツアー千秋楽ではアンコール終盤になって激しい曲を立て続けに5曲演奏することが通例となっており、バンドはそれを「極楽地獄」と呼ぶ。 == 来歴 == 1999年結成。6月20日に大阪 西九条BRAND NEWにて初ライヴ『降臨』決行。 2001年12月16日メジャー・デビューを飾るマキシシングル「月に叢雲花に風」を発売。 2002年アイアン・メイデンのトリビュートアルバム(日本盤のみ)に、唯一の日本人アーティストとして参加した。また2003年にはジューダス・プリーストのトリビュートアルバムにも参加(同作でも唯一の日本勢)。 2003年1月22日、4枚目のアルバム『鳳翼麟瞳』を発表。その際、当初は所属レーベルであるキングレコード側からレーベル初のコピーコントロールCDの導入が提案された。これについて瞬火が「新たな時代のスタンダードになるかもしれない手法に対して臆することなく行動を起こそうというその『心意気』を買ってこれを承諾するのだから、万一この施策が途中で頓挫したり、陰陽座だけが『実験台』になって終わったりするようなことがあった場合、即刻通常のCDに戻して発売し直してほしい」という条件を出した上でこれを承諾・契約する。しかし、消費者側からのCCCDに対する各レコード会社への非難は多く、以降キングレコードからCCCDが発売されることはなかった。その結果『鳳翼麟瞳』は通常CDとして再発売され、それまでの時点で陰陽座としては最高の売上を記録した。 2004年5月29日にはロックバンドとしては世界初となる能楽堂(東京・銕仙会能楽研修所)での公演を実現させる。同年9月23日リリースの「組曲「義経」〜悪忌判官」でも世界初能楽堂の舞台においてプロモーションビデオを撮影した。 2004年9月から12月にかけて42都道府県を巡るツアーを敢行。 2005年9月下旬から10月初旬にかけて初めてのヨーロッパツアーを実施。 2006年2月25日初となるホールライブ『珠玉の宴』を中野サンプラザにて決行。 2006年5月下旬から11月下旬の約半年をかけて、ヨーロッパ2箇所を含む全都道府県でのライヴを行なうというツアーを実施。途中、黒猫の突発的な病気による公演延期などがあったものの、全公演が完遂された。 2008年リリースの『魑魅魍魎』、2009年リリースの「相剋/慟哭」に於いてそれぞれアルバム、シングル部門で初のウィークリーTOP10入りを記録した。同年3月10日に公式サイトで斗羅の脱退が発表された。 2010年7月から10月にかけて全国ツアー『続・生きることとみつけたり!!』を敢行。宮崎公演にて日本2周目を達成。 2006年の全都道府県ツアーが終わった直後からの、「一度で廻るのが難しければ何年かけても少しずつ廻ればいつかすべての都道府県にいける」という密かな野望が実を結ぶこととなった。 2012年初のホール全国ツアー『絶界の鬼子母神』を敢行。2部構成になっており、第1部ではコンセプトアルバムの組曲(全12曲)をMC一切無しで演奏した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「陰陽座」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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