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陳三立 : ミニ英和和英辞書
陳三立[ちん さんりつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [み]
  1. (num) three 

陳三立 : ウィキペディア日本語版
陳三立[ちん さんりつ]

陳 三立(ちん さんりつ)は清末から中華民国にかけての詩人。伯厳、号は散原
父親の陳宝箴変法派の人物で、陳三立自身も譚嗣同丁恵康呉保初とともに「維新四公子」と称された。戊戌の政変後は政治から離れ、詩人として活動した。歴史学者の陳寅恪と画家の陳衡恪は子である。
==年表==

* 1882年郷試を受験するが八股文ではなく散文で答案を作成したため、最初は答案を遺棄されたが、主考官の陳宝琛に評価され挙人となる。
* 1886年進士となり、吏部主事となる。
* 1895年康有為の組織した強学会に参加。父の任地の湖南省に赴き、変法運動を推進。
* 1898年:戊戌の政変で「奸邪を招引した」として免職となる。南昌に移住。
* 1900年南京に移住。陳宝箴死去。
* 1903年三江師範学堂の総教習となる。柳詒徵が思益小学を創設するのに協力。
* 1905年:李有分らと鉄道会社を興し、南潯線を建設。
* 1906年湯寿潜と中国商弁鉄路公司を創設。
* 1911年辛亥革命に反対し、上海に移住。清朝を懐かしむ文人たちと詩社を結成。
* 1923年杭州に移住。
* 1924年ラビンドラナート・タゴールと会見。
* 1926年:上海に戻る。
* 1929年廬山に赴き、詩集『匡廬山居詩』を執筆。
* 1932年:「国難会議」に出席を要請されたが、出席しなかった。
* 1936年ロンドンでの国際ペンクラブ大会に胡適とともに中国代表として選ばれるが、老齢のため出席できなかった。
* 1937年盧溝橋事件発生の報を聞いて食を断ち、5日後に死亡。

category:強学会の人物


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「陳三立」の詳細全文を読む




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