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陳伯恭[ちん はくきょう]
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・ 伯 : [はく] 【名詞】 1. count 2. earl 3. eldest brother 4. uncle 5. chief official
陳伯恭[ちん はくきょう] 陳伯恭(ちん はくきょう、生没年不詳)は、南朝陳の皇族。晋安王。文帝陳蒨の六男。字は肅之。 == 経歴 == 陳蒨と厳淑媛のあいだの子として生まれた。565年(天嘉6年)8月、晋安王に封じられた。まもなく平東将軍・呉郡太守となり、佐史を置いた。569年(太建元年)7月、入朝して安前将軍・中護軍となった。9月、中領軍に転じた。まもなく中衛将軍・揚州刺史に任じられたが、公務の失敗で免官された。572年(太建4年)、安左将軍として再起した。574年(太建6年)1月、安南将軍・南豫州刺史として出向した。577年(太建9年)、入朝して安前将軍・祠部尚書となった。579年(太建11年)、軍師将軍・尚書右僕射に任じられた。580年(太建12年)5月、尚書僕射に転じた。581年(太建13年)1月、尚書左僕射となった。582年(太建14年)1月、翊前将軍・侍中の位を受けた。3月、安南将軍・湘州刺史に任じられたが、赴任しなかった。583年(至徳元年)、生母が死去し、服喪のため職を去った。586年(至徳4年)1月、鎮右将軍の位を受けた。2月、特進となった。587年(禎明元年)、中衛将軍・右光禄大夫の位を受けた。589年(禎明3年)、陳が滅亡すると関中に入った。隋の大業初年、成州刺史・太常卿となった。
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