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陳元達 : ミニ英和和英辞書
陳元達[ちん げんたつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 
: [たち, たっし]
  1. (n-suf) plural suffix 

陳元達 : ウィキペディア日本語版
陳元達[ちん げんたつ]
陳 元達(ちん げんたつ、? - 316年)は、中国五胡十六国時代前趙(当初の国号は漢)の官僚長宏。元来の漢姓は高氏だと伝わるが、匈奴姓は不詳。漢文化の教養を持っていた。
== 生涯 ==
新興(山西省忻州)の人。匈奴後部の族長の子として生まれる。誕生した月が父と同じであったため、父の禁忌を避けるため、「陳」に改姓した。少年時代に両親を失い、そのために指導者を失った彼の部族は四散した。彼は故郷から近い平陽で、農耕や狩猟で生計を立てながら、四十余歳になるまで人々と接触せずに、学問に没頭した。時は西晋末期の波乱に満ちた乱世であった。
304年、同郷の劉淵が西晋の左賢王になると、陳元達の評判を聞いて、同じ匈奴ということもあり、陳元達を招聘した。しかし、陳元達はすぐに応じなかった。人々は不審に思って陳元達に「貴公はなぜ左賢王(劉淵)の招聘に応じないのか? それが無礼だと感じないのか?」と言った。しかし陳元達は「左賢王は大志を持ったお方だ。問題はない、私が左賢王に応じなかったのは、仕官する時期が熟していないと思ったからだ。左賢王は、私のことを理解なされている。多分2、3日後に、左賢王からの書状が届を持参した使者が私のもとに派遣されるだろう」と言った。当日の夕方に劉淵の臣下である黄門侍郎が使者として、陳元達のところに派遣されて、彼を任官する旨を伝えた。人々は驚愕し「陳元達は聖人なのか」と言いあった。
劉淵は陳元達が自分の下に来たことを喜び、すぐに面会した。劉淵が「陳元達よ、そなたが早く私のもとに仕官していたら、今ごろは要職に就けられただろうに」と言った。陳元達は「私の考えとしては、人はさまざまの事情があります。その事情の条件に適することが大事であり、それを満たないのは状況の機会から反れてしまいます。たしかに私が逸早く仕官すれば、今ごろは左賢王さまから、九卿などの要職に就けられたでしょう。しかし、現在の私はその任務にとても堪えられません。私はあえて左賢王さまからの招聘に応じず、自分の身分に相応する官職があれば十分です。そのために左賢王さまは私に過度の官職に任命せずに済みました。私はこれ以上の官職は必要とはしません。左賢王さまとの関係が円満であれば十分です」と言った。これを聞いた劉淵は大いに満足して、陳元達を優遇した。以降も陳元達は劉淵のよき相談役となり、同年10月の前趙の建国に大いに貢献した。
310年に皇帝の劉淵が没し、長男の皇太子兼梁王の劉和が立つも、間もなく異母弟の楚王劉聡の謀反によって、妻と息子たちとまとめて殺害され、劉聡が皇帝に即位した。そして劉聡は亡父の代からの老臣である陳元達を廷尉に任命した。
だが、陳元達は剛直の士であり、常に劉聡に直言を繰り返した。313年、陳元達は劉聡の宮殿造築阻止をするために諌言をした。劉聡は激怒して、元勲の陳元達に向かって、「鼠子(=そし、醜い鼠)めが!」と陳元達を汚く罵り、陳元達の妻子とともにこれを処刑しようとした。だが、武宣皇后(劉娥)が陳元達の助命を嘆願したため、劉聡はそれ以上のことは不問にした。
後に劉聡は陳元達を右光禄大夫に任命した。前趙の多くの朝臣の要望により、陳元達は改めて御史大夫・儀同三司に任命された。
315年、陳元達は上皇后(靳月光)に淫行の行為があったことを上奏し、劉聡は靳月光を皇后から廃したが間もなく靳月光は自殺した。以降から劉聡と靳月光の父靳準は陳元達を憎んだ。
316年に劉聡は、自分の腹心で宦官である王沈中常侍に任命し、これを重用した。すると陳元達は王沈の評判がよくないということで、劉聡の庶長子である太宰・河間王の劉易とともに王沈を糾弾した。そこで陳元達は劉易とともに参内して、劉聡が王沈を列侯に封じることを反対する上表書を差し出した。しかし、劉聡はその上表書を破り捨てた。こうして、劉易は父の理不尽な行為にあまりのことで憤死し、3月に陳元達も自邸で自決を遂げた〔『西晋演義』では 劉易の訃報を聞いた陳元達は、「人がいなくなると、国は滅びる。私はもう何も言えない。これ以上、黙々と生きてもどうしようもない」と言って、自宅に帰ると自殺したと述べている。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「陳元達」の詳細全文を読む




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