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陳勝・呉広の乱(ちんしょう・ごこうのらん)は、中国秦末期に陳勝と呉広が起こした、史上初の農民反乱。 == 蜂起 == 紀元前210年に始皇帝が崩御すると、その末子である胡亥が兄の扶蘇を謀殺して即位した。 その元年となる紀元前209年の7月、陳勝と呉広は辺境守備のため、半ば強制的に徴兵された農民900名と共に、漁陽(現在の北京市北部の密雲県)へと向かっていた。しかしその道中、大沢郷(現在の安徽省宿州市の東南部)にさしかかったところで大雨に遭って道が水没し、期日までに漁陽へとたどり着く事が不可能になる。秦の法ではいかなる理由があろうとも期日までに到着しなければ斬首である。期日までに着けない、そう判断した時点で陳勝と呉広は反乱を決意し、将尉たちを殺そうと画策する。 2人は事が成就するか占うため易者を訪ねた。彼らの心中を察した易者は、「事業は成功するが、占いを成就させるには鬼神の力を借りるのが良い」と言った。それを聞いた陳勝らは喜び、「鬼神を仮託して人々を威服させよう」と画策する。まず「陳勝王」と朱書きした布切れを魚の腹に入れておいた。何も知らない兵卒は魚を料理しようとしてその布切れを発見し、ひどく気味悪がった。さらに、呉広が宿営の近くにある祠に潜伏し、夜中に狐火を焚き、「大楚興らん、陳勝が王たらん」と狐の鳴き声を真似て叫んだ。兵卒たちはこれを聴いて以来、陳勝を見ては恐れ、噂をしあうのだった。 計画の下準備を終えた二人は、ついに決行にうつる。引率の将尉二人が酒に酔ったところを見澄まして呉広が彼らの面前に歩み寄り、聞こえよがしに「俺は逃げる」と繰り返した。酒に酔った将尉は激怒し、呉広を鞭で打ち据える。何時の間にか周囲に兵卒たちが寄ってきて、将尉への反感を募らせていった。将尉の剣が抜け落ちた。呉広は即座に剣を拾いあげ、将尉の一人を斬り殺した。すぐさま陳勝が加勢し、もう一人を殺す。 それから、陳勝は兵卒たちを召集して演説した。 :「俺たちは大雨に降られ、最早期日には間に合わない。期日への遅れは問答無用で斬首だ。仮に殺されないとしても、労役で死ぬのは10人中6,7人であり、労役で死なずとも帰途で死ぬかもしれない。どうせ死ぬのならば、名を残して死ぬべきだ。もとより人間に王侯将相の種族の別があろうか」。 兵卒たちはこれを聴き、一斉に同意を示した(大沢郷起義)。 この時に民衆の支持を集めるために陳勝は扶蘇、呉広は項燕を名乗った。始皇帝の長子にして悲劇の皇太子である扶蘇と旧楚の英雄である項燕は庶民に人気があり、多くはその死を知らずまた信じていなかった。二人はそれを利用した。 彼らはまず大沢郷を占領、それから諸県を攻略し、陳を取るころには兵車600乗・騎兵1000余・兵卒数万の大勢力になっていた。陳を攻めた時、郡守・県令は既に逃亡しており、副官が抗戦したがあっという間に陥落した。陳に入城した陳勝はここを本拠とし、即位して王となり、国号を張楚と定めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「陳勝・呉広の乱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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