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陳叔卿(ちん しゅくけい、生没年不詳)は、南朝陳の皇族。建安王。宣帝陳頊の五男。字は子弼。 == 経歴 == 陳頊と魏昭容のあいだの子として生まれた。性格は実直で、容貌は魁偉であったとされる。572年(太建4年)2月、建安王に封じられ、東中郎将・東揚州刺史に任じられた。575年(太建7年)12月、雲麾将軍・郢州刺史に転じ、佐史を置いた。577年(太建9年)1月、平南将軍・湘州刺史となった。582年(太建14年)1月、後主が即位すると、安南将軍に進んだ。侍中・鎮右将軍・中書令に上った。587年(禎明元年)2月、中書監となった。589年(禎明3年)、陳が滅亡すると、関中に入った。隋の大業年間、都官郎・上党郡通守となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「陳叔卿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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