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陳叔明(ちん しゅくめい、生没年不詳)は、南朝陳の皇族。宜都王。宣帝陳頊の六男。字は子昭。 == 経歴 == 陳頊と何淑儀のあいだの子として生まれた。容姿は美しく、所作は柔弱で婦人のようであったとされる。573年(太建5年)12月、宜都王に封じられた。まもなく宣恵将軍の位を受け、佐史を置いた。575年(太建7年)12月、東中郎将・東揚州刺史に任じられた。まもなく軽車将軍・衛尉卿となった。581年(太建13年)1月、使持節・雲麾将軍・南徐州刺史として出向した。後に侍中・翊右将軍の位を受けた。586年(至徳4年)1月、安右将軍に進んだ。589年(禎明3年)、陳が滅亡すると、関中に入った。隋の大業年間に鴻臚少卿となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「陳叔明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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