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陳嘉佑 : ウィキペディア日本語版
陳嘉佑[ちんよしみたすく]

陳 嘉佑〔徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』1474頁は「陳嘉祐」と表記している。〕(ちん かゆう、)は、末・中華民国の軍人。湖南軍(湘軍)出身の軍人で、後に国民革命軍に属した。国民政府時代は反蒋介石派の軍人と目されている。護方護黄
== 事跡 ==

=== 初期の活動 ===
清末に日本に留学し、1911年陸軍士官学校第8期歩兵科を卒業した。1912年民国元年)に湖南陸軍(湘軍)砲兵団団長に任命され、翌年3月、北京政府から陸軍歩兵上校に任ぜられる。
1915年(民国4年)12月、護国戦争の勃発に際して湖南省の実力者である譚延闓の推薦で、陳嘉佑は湖南護国軍の第1師第4梯団団長、第2師第3旅旅長と歴任した。以後、湖南省内では譚支持派の軍人と目されることになる。1916年(民国5年)11月、湘軍暫編第2師歩兵第3旅旅長に就任し、翌年3月、陸軍少将位を授与された。1920年(民国9年)、湖南整編第7防区司令となり、同年11月、湘軍第6混成旅旅長に任ぜられる。
1922年(民国11年)5月、陳炯明の反孫文(孫中山)クーデターに伴い、陳嘉佑は討賊湘軍第1路司令に任ぜられ、翌年8月、討賊湘軍第1軍軍長となっている。その後、広東省へ軍を率いて移り、駐粤湘軍第5軍軍長兼第8師師長となった。1924年(民国13年)1月、中国国民党第1回全国代表大会に代表として出席している。翌年初めに、湘軍整理処副総監兼湘軍講武堂堂長となり、同年8月、駐粤湘軍を改組した建国湘軍で第2軍教導師師長に任ぜられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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