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陳坤書 : ミニ英和和英辞書
陳坤書[ちん こんしょ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こん]
 (n) southwest
: [しょ]
 【名詞】 1. penmanship 2. handwriting 3. calligraphy (esp. Chinese)

陳坤書 : ウィキペディア日本語版
陳坤書[ちん こんしょ]
陳 坤書(ちん こんしょ、''Chen Kunshu''、? - 1864年)は、太平天国の指導者の一人。護王に封ぜられた。斜視であったため「陳斜眼」と呼ばれた。
広西省桂平出身。金田蜂起に参加。1854年西征軍に派遣され、安徽省巣県に駐屯した。1858年、忠王李秀成に従って三河の戦いに参加、湘軍李続賓軍6千人を全滅させた。1860年1月から5月にかけて、李秀成に従って第二次江南大営攻略に参加した。その後、5月26日常州を占領、30日に無錫を奪い、6月2日に蘇州を降し、13日には呉江震沢を取り、15日には嘉興を陥落させるという破竹の勢いを見せた。10月には蘇州の守備に派遣されたが、1862年春、常州に移駐した。1863年春より、李秀成に従って天京を救援するために各地を転戦する。12月、江蘇巡撫李鴻章率いる張樹声劉銘伝周盛波ら10万人の淮軍チャールズ・ゴードン率いる常勝軍3千人が常州攻撃を開始した。1864年4月25日、常州の外城の金壇が陥落し、兄の陳志書が戦死したが、陳坤書の太平軍は奮戦して3千人を殲滅し、淮軍の撃退に成功した。しかし5月11日、淮軍と常勝軍は水陸両方から攻撃し、淮軍が城内に入り市街戦となった。その中で陳坤書は捕えられ、数日後に処刑された。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「陳坤書」の詳細全文を読む




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