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陳 昌鉉(ちん ちゃんひょん、1929年〔〔 - 2012年5月13日〔)は、在日韓国人のバイオリン製作者。アメリカバイオリン製作者協会より「無鑑査バイオリン製作家」の称号を授与され、「東洋のストラディバリ」とも称される〔。 == 生涯 == 日本統治下の朝鮮南部、慶尚北道金泉郡(現・金泉市)出身〔。14歳で来日して福岡県で夜間中学を卒業。その後、明治大学英文科を卒業したが、英語教師への道は韓国籍のためかなわなかった。失意の中で聴いた糸川英夫の講演で「名器ストラディバリの再現は不可能」という言葉に触れ、以後バイオリン製作を志したという〔。 1957年、有数の弦楽器生産地であった長野県木曽福島町(現・木曽町)に移り、肉体労働をしながらバイオリン製作を独学する〔。1961年、篠崎弘嗣(桐朋学園教授)との出会いにより、本格的なバイオリン製作者への道を歩むこととなり〔、東京都調布市に工房をひらいた。 1976年、製作したバイオリンがアメリカの「アメリカ国際バイオリン・ウィオラ・チェロ製作者コンクール」において6部門中5部門で金賞を受賞し、一躍名職人として知られる。1984年に、アメリカバイオリン製作者協会より「無鑑査製作家」(Hors Concours)の認定と「マスターメーカー」(Master Maker)の称号を授与されている。 2002年、口述筆記による自叙伝『海峡を渡るバイオリン』(河出書房新社)を刊行。この半生記は、2003年に山本おさむ『天上の弦』として漫画化され、2004年にはテレビドラマ化された。また、三友社出版の高校英語教科書に収録された。 青年時代を過ごした木曽福島町の芸術文化振興事業にも寄与し、2005年10月23日に木曽福島町より木曽福島町名誉町民章を授与された(2005年11月1日より木曽町が発足し、木曽町名誉町民となった)〔〔。2008年には大韓民国政府より国民勲章無窮花章を授けられている〔。 2012年5月13日、調布市の自宅にて没(82歳)〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「陳昌鉉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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