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陳武 : ウィキペディア日本語版
陳武[ちん ぶ]

陳 武(ちん ぶ、? - 215年)は、中国後漢末期の武将。孫策孫権に仕えた。揚州廬江郡松滋の人。子烈。子は陳修。庶子は陳表。『三国志志に伝がある。
==生涯==
孫策が寿春にいた頃に拝謁し、その家臣となった。その時、陳武は18歳で身長が7尺7寸あったという。孫策の長江渡河時に従軍し、各地で戦功を挙げて別部司馬となった。孫策は劉勲を討つと、その投降者を選抜して軍団を組織し、陳武に指揮させた。その軍団は精鋭揃いで負け知らずだったという。
孫権の代には五校尉(首都防衛機動隊長官)の目付役に任命された。
陳武は思いやりがあり、人に対する気前も良かったため、同郷の者や遠方からの避難民が多く身を寄せた。孫権からも特別の寵愛を受け、孫権が陳武の家を何度も訪れる程であった。陳武は功労を重ね、偏将軍にまで昇った。
215年、曹操軍との合肥戦において、命をかけて奮戦したが戦死してしまった。孫権は陳武の死を大いに悲しみ、葬儀にも直接参加したという。『江表伝』によれば、孫権は彼の愛妾に殉死を命じ、賓客二百家の租税を免除したとある(孫盛は愛妾を殉死させた行為を非難している。)。
なお、子は孫権に期待された人物であったが早世した。庶子も呉に仕えて活躍した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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