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陳炳焜 : ウィキペディア日本語版
陳炳焜[ちん へいこん]

陳 炳焜(ちん へいこん)は清末民初の軍人。桂軍(広西軍、広西派)の指導者の1人で、陸栄廷らを中心とする「旧広西派」(旧桂系)と呼ばれる集団の一員。舜琴
== 事跡 ==

=== 旧桂系での台頭 ===
1885年光緒11年)、竜州に入り、広西提督衙門で衛士となり、事務方を主につとめた。以後数年間で、陸栄廷譚浩明など、後の旧桂系指導者たちと知り合った。1891年(光緒17年)、鎮南営哨長に就任すると、軍指揮官として昇進を続ける。1904年(光緒30年)に陸栄廷の栄字営において、営務処兼附中営管帯に抜擢された。同年に起きた孫文(孫中山)の鎮南関蜂起においても、陳は孫文軍に占拠された砲台を奪回する軍功をあげている。1908年(光緒34年)に竜州で開設された広西陸軍講武堂で陳は学習する。卒業後に広西新軍が設立されると、陳は新軍第2標標統に任命された。
辛亥革命を経て、陸栄廷が広西都督として省の実権を握ると、1912年民国元年)2月、陳炳焜は陸から都督府軍政司司長に任命された。翌年に陸が袁世凱から広西都督兼民政長に任命されると、陳は桂軍第1師師長に任命され、桂林に駐屯した。二次革命(第二革命)が勃発すると、陳は陸の命により、革命派を鎮圧した。民国3年(1914年)7月、陳は第1師師長兼桂林鎮守使にとなった。
1915年(民国4年)12月に袁世凱が皇帝に即位すると、陸栄廷は表面は賛意を示しながら、密かに反袁活動を開始した。陸は病気と称して故郷の武鳴に戻り、広西の事務を陳炳焜に一時委ねた。そして護国戦争第三革命)勃発後の1916年(民国5年)3月15日に陸は広西の独立と反袁を宣言した。陸は自ら湖南省に進軍し(後に広東省へ向かう)、莫栄新を広東省に派兵し、陳は南寧の留守を預かった。これにより1週間後の3月22日に、袁は皇帝即位取消しに追い込まれ、6月6日に死去した。後任総統の黎元洪は、陸を広東督軍、陳を広西督軍にそれぞれ任命した。陳は軍の近代化をさらに進めるため、1917年(民国6年)5月に学兵模範営を設立し、日本留学経験者などを中心とした精鋭部隊の組織を進めている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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