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陳耀祖[ちん ようそ]
陳 耀祖(ちん ようそ)は中華民国の政治家。南京国民政府(汪兆銘政権)の要人。汪兆銘夫人・陳璧君の実弟である。 == 事跡 == 1926年(民国15年)11月、広東省政務委員会委員となる。翌年3月、代理建設庁庁長に任ぜられた。11月、広州市工務局局長に異動している。1932年(民国21年)1月、国民政府の鉄道部常務次長代理となる。3月、同部財務司司長となって、1936年(民国25年)4月までつとめた。翌年6月、広東省政府委員となっている。 1939年(民国28年)9月、陳耀祖は、義兄・汪兆銘が組織した中国国民党で広東省党部主任委員に任命された。翌年3月、正式に南京国民政府が成立すると、中央政治委員会指定委員(以後、4期まで務める)となる。4月、広東省政府主席代理(陳公博の代理)兼建設庁庁長兼保安司令に任ぜられた。11月、正式に広東省政府主席となり、その翌月には中央政治委員会副主任委員となった。この陳耀祖の人事には、陳璧君の後押しがあったとされる〔劉傑『漢奸裁判』、135頁。〕。 1942年(民国31年)6月、陳耀祖は広州市市長も兼ね、広東省の全権を一手に掌握した。翌年1月、省政府主席から省長へと改組される。同年中にフランス専管租界接収委員、新国民運動促進委員会広東省主任委員も務めている。 1944年(民国33年)4月4日、陳耀祖は広州で暗殺された。享年53。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「陳耀祖」の詳細全文を読む
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