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陳荊和(ちん けいわ、Chen Chingho、Ching Ho A. Chen、、 - 、字は孟毅、号は蒼崖)は歴史学者。専門は東南アジア史・華僑史。文学博士(慶應義塾大学)。台湾に生まれて日本で育ち、日本・台湾・南ベトナム・香港の大学に奉職したほかフランスやアメリカでも教鞭を執った。ベトナム史に関する基本史料の校勘・訳注を多数刊行し、国際的にも高い評価を得ている。 == 経歴 == * 1917年 台湾の台中市に生まれる。ほどなく父の慶大学医学部での研究のため、東京に転居する。 * 1942年 慶應義塾大学文学部史学科東洋史専攻卒業。同大学語学研究所助手。 * 1943年3月-1945年9月 日本・仏印交換留学生としてハノイのフランス極東学院にて研究に従事。 * 1946年 国立台湾大学文学部史学科講師(東南アジア史・日本史)。そのご副教授・教授となる。 * 1954年9月-1955年10月 パリ大学高級中国研究所にて研究。 * 1958年 南ベトナム政府の招聘を受けて渡越。フエ大学、サイゴン大学、ダラット大学にて東南アジア史、中国史、日本史を担当。また、フエ大学「ベトナム史料編訳委員会」委員長として阮朝硃本の整理・目録作成にあたる。 * 1962年 香港新亜書院新亜研究所研究員、同東南アジア研究室主任。 * 1964年 香港中文大学高級講師(東南アジア史担当)、70年に東アジア研究センター主任、75年に教授(Reader)。日本研究講座主任教授、中国文化研究所所長、フランス・ドイツ・日本及びイタリア研究学部代理部長などを歴任。 * 1966年 慶應義塾大学に提出した「安南訳語の研究」により文学博士号を受ける。 * 1971年 南イリノイ大学客員教授。 * 1981年 創価大学教育学部教授に転じる。アジア研究所研究員、言語文化研究センター教授、アジア研究所所長などを歴任。 * 1994年 アメリカ創価大学環太平洋平和文化研究センター顧問に就任し渡米。 * 1995年 ホーチミン市にて死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「陳荊和」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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