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陳裕宗(ちんゆうそう、)は、陳朝大越の第7代皇帝。 == 生涯 == 第5代皇帝・明宗の十男。開祐13年(1341年)に次兄の憲宗が早世すると、長兄の陳昱は疎狂(雑で気違い)という理由で太上皇として健在であった父に退けられ、代わってわずか6歳で皇帝に擁立された。実権は父が握っていた。 父同様に暗君だったといわれており、紹豊17年(1357年)の明宗の死後は実権を握るも、酒色に耽り奢侈を好むなどして国政を乱した。大治12年(1369年)に崩御、享年34。 裕宗には子が無かったため、甥の陳日礼が跡を継いだ。
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