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陳銘枢 : ウィキペディア日本語版
陳銘枢[ちん めいすう]

陳 銘枢(ちん めいすう)は中華民国中華人民共和国の軍人・政治家。国民政府国民革命軍)の軍人で、粤軍(広東軍)の指揮官。後に、福建事変を主導し、中国国民党革命委員会にも参加した。真如
== 事跡 ==

=== 初期の事跡 ===
父が秀才となった家柄で、最初は陳銘枢も学問を志す。15歳で公館文治高等小学で学んだ。しかし、1906年光緒32年)8月、黄埔陸軍小学第2期で学び、まもなく中国同盟会に加入した。1909年宣統元年)、南京陸軍第4中学に入学した。辛亥革命の際には、漢口に赴き、革命派の一員として戦った。中華民国成立後は、保定陸軍軍官学校第1期で学んでいる。
1913年民国2年)の二次革命(第二革命)にも革命派として参戦したが、敗北して日本に亡命する。日本では、黄興が創始した大森浩然廬学校と、革命派が創設した政法学校で学習した。1915年(民国4年)に帰国する。同年12月に護国戦争第三革命)が勃発すると、陳銘枢は護国軍に加わった。
1924年(民国13年)、陳銘枢は粤軍第1師参謀長兼第1旅旅長に就任した。翌年2月の第1次東征(陳炯明討伐)に参加して軍功をあげる。同年6月、劉震寰楊希閔中国国民党に叛くと、この討伐にも貢献した。7月に国民政府が成立し、国民革命軍に改組されると、陳は李済深率いる第4軍で参謀長兼第10師師長に就任した。10月の第2次東征にも参戦し、陳炯明軍を掃討した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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