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陳順宗(ちんじゅんそう、)は、陳朝大越の第12代皇帝。 ==生涯== 第9代皇帝・芸宗の末子として生まれた。即位前は詹定王に封ぜられていた。昌符12年(1388年)に従兄の皇帝がに廃され、その後釜として擁立された。幼年のために黎季が専権を振るい、順宗の皇后も黎季の長女である黎聖偶が立てられた。 光泰7年(1395年)、太上皇として陳朝を支えていた父の芸宗が死去すると、もはや黎季の専横は止まることを知らなかった。黎季は直ちに有力な皇族や重臣の粛清を開始し、順宗はこれを止めることもできなかった。光泰11年(1398年)に成長して21歳になっていた順宗は黎季にとってもはや邪魔な存在でしかなく、黎季は自身の外孫である長男のに譲位するように迫った。順宗はこれを受け入れて退位するが、その直後には出家させられて流罪に処された。 ところが流刑地に向かう途中で、黎季の密命を受けていた将軍の范可永に殺害されたという。享年22。 なお、殺害については多くの伝説で語られている。監視役の阮謹が最初は毒を飲ませたが死ななかった。次に食事や水を一切与えずに餓死させようとしたが、陳を哀れむ者たちが密かに助けたので餓死しなかった。そこでやむなく范可永が絞殺してやっと死んだというものである〔『大越史記全書』巻八による。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「陳順宗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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