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陳頠の蜂起 : ミニ英和和英辞書
陳頠の蜂起[ほうき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はち]
 【名詞】 1. bee 
蜂起 : [ほうき]
  1. (n,vs) uprising 2. revolt

陳頠の蜂起 ( リダイレクト:陳ギの蜂起 ) : ウィキペディア日本語版
陳ギの蜂起[ちんぎのほうき]

陳頠の蜂起(ちんぎのほうき)は、1407年から1409年にかけて陳朝の血を引く陳頠によって起こされた抗闘争のことである。
== 経過 ==
1407年10月、愛国者だった陳肇基は、陳朝の皇帝の子息だった陳頠を盟主として安謨(イエンモ:ニンビン省)で反乱を起こした。陳頠は自らを簡定(ザンディン)皇帝と称した。
1408年初め、簡定帝は乂安(ゲアン)に向けて進軍し、これに化州(ホアチャウ:トゥアティエン・フエ省)の鄧悉と、以前に升華(タンホア:クアンナム省)で官吏をしていた阮景真が呼応した。12月に義軍は逋姑(ポーコー:ナムディン省)の船着場で4万の明軍を撃退したとされる。以来、簡定帝たちの名声は国全体に広がり、多くの人間が義軍に投じた。
しかし、逋姑での戦勝の後、簡定帝は中傷の言葉を聞き入れて、鄧悉と阮景真の二人を粛清したため、蜂起は徐々に分裂していった。
結局、簡定帝は捕らえられ、金陵(南京)に送られて処刑された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「陳ギの蜂起」の詳細全文を読む




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