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陶 希聖(とう きせい)は、中華民国の社会学者・政治学者・法学者・政治家。当初は中国共産党に属したが、後に中国国民党に転向する。また、汪兆銘(汪精衛)に随従して日本との和平工作に従事したが、汪兆銘政権成立直前に離脱したことでも知られる。名は彙曽だが、一般には字の希聖で知られる。 == 事跡 == === 共産党から国民党へ === 河南省立第一中学、武昌外国語専門学校を経て、1914年(民国3年)に国立北京大学予科に入学する。1918年(民国5年)、同大学法科に転じ、1922年(民国11年)に卒業した。卒業後は安徽省立法政専門学校の教員となり、1924年(民国13年)には上海商務印書館の編輯に転じた。 この年に、陶希聖は中国共産党に加入している。その後、私立上海大学教授、上海学生連合会顧問、『独立青年』主編などをつとめた。1927年(民国16年)初めに、中央軍校武漢分校中校政治教官、軍校政治部秘書、私立武昌中華大学法律教授、武漢国民政府中央教導師軍法処長等に任ぜられる。 同年7月、第一次国共合作の崩壊を受けて、陶は共産党を離党し、中国国民党に転じた。そして国民革命軍総政部秘書処少将処長兼宣伝処長、『党軍日報』社長に任ぜられている。翌年、南京中央軍校少将政治総教官兼訓練科長等に移った。1929年(民国18年)からは、私立上海復旦大学、国立曁南大学、私立中国公学、国立中央大学で教鞭をとる。1931年(民国20年)、国立北京大学教授に任命された。1929年から1935年にかけて、『食貨半月刊』の主編となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「陶希聖」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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